第五章 業 - Magic Recruit
「すみませんでした!」
その声でシャントは目を覚ました。誰の声かと、あたりを見渡すが、目の前には誰かのシャツ姿の胴体しか見えない。いきなりシャントが乗ってる"床"がせり上り、目の前に今度は、いかついヒゲの壮年の顔が現れた。シャントはビクッと飛びのき、寝起きの羽で宙に浮いた。と、いつもの見慣れた後ろ頭が目に入った。
アルディだ。主人だとかろうじて認識した彼女は、改めてあたりを見渡す。どこかの洋館の一室のようだ。かなり立派な屋敷らしい。壮年の後ろの壁に並んだいくつもの鎧がいかめしい。
シャントは妖精なりに記憶を辿った。
確か自分は空艇港にいたはずだ。しかし、ここは空艇港ではない。アルディと係員が話していたあたりから記憶がない。どうやら、眠ってしまっていたようだ。そこまで思い至り、彼女は今のこの状況を理解しようと懸命になった。
「まったく、誤られてもどうしようもないんだよ。ピンクトルマリンが無きゃ話になんないんだよ」
ヒゲの男が睨みをきかせて言った。
ここでようやくシャントは、ここがアルディの言ってた就職試験の会場だということがわかった。
「すみませんでした」
アルディは、男の言う事に対してひたすら謝っていた。否、謝らざるを得なかった。人助けとは言え、試験に使うはずのピンクトルマリンの力を使い果たしてしまったのだ。しかも、アルディはラントの事は一切話さず、無くしてしまった、言い張ったのだ。
「...しかも妖精まで連れて来て」
シャントはビクッとこわばり、オロオロ飛んだ。しかし、アルディは表情も変えず、ただひたすらに謝罪の言葉を繰り返した。
謝れば、その誠意でもう一度チャンスをくれるかも、そんな希望を抱いているわけでもいない。ただ、謝罪の心でしかないのだ。
「もう、わかったよ、試験受けようがないんだから、もう引き取ってくれないかな?」
壮年は完全にあきれていた。
「すみませんでした」
この場だけで何回言った言葉であろうか。壮年もだんだんと、イライラとめんどうに耐えられず、とにかく何でもいいから早くアルディに立ち去ってほしいと思っていた。
「...他の魔導社紹介してあげるから、もうウチは縁が無かったとあきらめてくれないか?」
壮年は、アルディのかすかな希望を抱いての謝罪を察知したのか、他社の紹介を切り出した。壮年にとっては、至極めんどうな事であるが、この場に居座られるよりは、幾分かマシに思えたのだろう。
「...ありがとうございます」
アルディはこと、ここに来てやっと言葉が変わった。
しかし、暗く沈んだ表情は変わらない。彼は納得はいっておらず、彼自身の願ったとおりには、なっていない。というより、彼自身、もう何もかもが分からなくなっていた。自分自身が何を求めているのかさえも。
壮年は、彼の表情と雰囲気から、彼が全く納得していないことをひしひしと感じた。その事に対して壮年側も納得できず、わだかまりがあったが、早く出ていってほしいという心の方が、はるかに勝っていた。
壮年は、近くの棚まで行き、そこに置いてある、妙な形の道具に触れ、小声で呪文を唱えた。
その道具は、パイプの輪が横に二段、三段と連なり、その輪を天地に走っているパイプがつないでいる。輪の内側には、輪の中心に向かってパイプがつながっており、真ん中に小さなパイプの輪、その小さな輪に筆がセットされている。筆にはびっしりとルーン文字が刻まれていた。
まるで、幼児の歩行機を小型化したようなそれは、"自動書記機"と呼ばれるもので、精霊を宿らせるものから、ドルイドの宇宙秘術を使う物まで様々だが、とかく、呪文一つで、必要な情報を、自動的に紙に書き出してくれるという、優れ物だ。占いに用いられることもしばしばだ。だが、自動書記機に施されている術が暴走することが多く、魔法の知識、技術を持っているものでしか扱うことはできない。
歩行機は、下の紙面にスラスラと文字を書いていった。意外に人間味のある筆跡だ。
ほどなくして、筆の動きは止まり、書類は完成した。
壮年は、ツカツカとアルディに歩み寄り、書類をパサっと渡した。
「こっちから、紹介しとくから、君からも連絡いれてくれ。では、健闘を祈ってるよ」
そう言うと、壮年はそそくさと部屋を出ていった。
アルディはしばらく、その場で呆然としていた。
彼の頭の中では、様々な想いが現れては消えていった。しかし、"考えている"ようで彼は何も考えられていなかった。頭も体も、心さえも空っぽであった。
何か言いようのない疲れを彼は感じていた。
シャントはその様子を心配そうに見ながら、その場に浮いている。
と、彼はその段になってようやく体を動かした。
彼は無言のまま、フラフラもせず、部屋から出ていった。