第五章 - 赤い星

第五章 - 赤い星の扉絵

 五月某日、晴天......。

 北海道に遅い春がようやくやって来た。四月になっても、待てども待てども、来ない春。北国の人々を困惑させる季節は、とても憎らしく思える。そして、雪が時々降ったりすると、逸る気分を裏切られた気持ちになって憂鬱さが増す。しかし、時はゆっくり流れて五月の風が頬を撫でる頃、北の大地はようやく活気づく。春の陽気さは踊るように天と地を覆いつくし、人々はたおやかな空気を身に纏うことが出来る。そして、春の息吹の乱舞は桜の咲く頃、クライマックスを迎えるのだ。百数十年前に本州方面から北海道の開拓に来た人々は、この北国の春をどんなに待ちわびたことだろう。彩子は今日の五月晴れに感謝した。雲ひとつない、清々しい青空を仰ぐ。

 今日は、赤い星に行ってから一か月後の歴史散歩講座のある日だ。集合場所は「豊平館」。彩子は再び、地図を片手に歩く。「豊平館」は中島公園の中にあるから、きっと案内板があって、その標識を見ながら行けば迷わず辿り着けるはずだと彩子は予測してみた。途中、公園内の遊歩道を歩くと野鳥の囀りが聞こえてきたり、白樺の若葉の緑が目に眩しかったりして都会の中の自然のオアシスのようである。彩子の足どりも軽い。

「やぁ、久しぶりだね。坂上さん。お元気でしたか。」

 島が彩子の背後から来て、左肩を軽く叩き挨拶をした。彩子は、あっ、と思う。島は一か月前、肩まであった髪が少し伸びて、さらにロングになっていた。そして、時折り吹く風にそんなに多くない髪がしなやかに揺れ、陽の光を透かして髪そのものが輝いているように見えた。彩子は島を先頭に、島の髪を見ながら後について歩き、容易く「豊平館」に辿り着く。

 相田さんと大山さんと、その隣に若い女が立っていた。よく見ると、大山さんと若い女は腕を組んでいた。その光景を見た島は軽い咳払いをしてみせたので、大山さんとその若い女は、組んでいた腕を外して直立不動になった。大山さんは改まった顔をして何かを喋りそうになった時、相田さんが口火を切る。

「大山さんは近々、結婚するそうですよ。今日は婚約者も一緒に出席したいとのことです。」

「えぇー、まっ、そうなんですよ。この人は、"さつき"といいます。」

 大山さんは隣の人をみんなに紹介した。

 若い女といっても、さつきは彩子にとっては三十代中位に見える。一ヶ月前に見かけた時は、サングラスをしていたので二十代位に見えていた。なんでも大山さんは初婚ということで、北国の遅い春に人生の遅い春が重なったということか......。なんと目出たいことで、と彩子は思い、何気なく島の横顔を見る。島の横顔は笑ってはいたものの、どこか青い翳りが差したように感じた。「豊平館」の白い外壁を縁取る薄いウルトラマリンブルーの色が、その細長い顔に反射した為だろうか......。

「さぁ、中へ入りましょう。明治の薫りが彷彿と甦りますよ。」

 島が先頭に立って「豊平館」の入り口に向かうと、四人の生徒達は徐に長身の先生の後に続いた。

ページトップへ戻る