第五章 - 赤い星

「申し訳ないね。今日は、こういう話で来たのではないから、話題を変えて、えーと、何にしようかな......。」

 島が思い直したように言う。

「あのう、そろそろ帰りたいんですが。ワイフからメールが来て、今晩は家に娘夫婦が来て、ホームパーティーをやるというので、食料の買い出しをしてくれって言うんで。」

 相田さんが薄くなった頭を掻きながら、照れ笑いを浮かべている。

「そうですか。それじゃ、大山さんもこの辺でいいですか?」

 島が、そう言いながら大山さんのテーブルを見ると、さつきさんがいつの間にか居なくなっていた。

「じゃ、今日はここまでにして、来月は時計台に行きましょう。また新しい発見がありますよぉ。」

 島が得意げに言うと、みんなそれぞれの思いを胸に抱いて散会して行った。

 彩子は「豊平館」の入り口を出て、数メートル進んでから再び、「豊平館」を振り返ってみた。来る時は気が付かなかったけれど、二階の中央のアーチ状の屋根の上に、赤い星のマークがあるのに気が付いた。

 洋風ホテルということだが、舞踏会等も催されたりしたのだろうか。だとしたら、絹のドレスを身に纏った貴婦人達が踊りに興じたことであろう、と彩子は想像してみた。軍服姿の役人や、スーツ姿の紳士達。まだ着物姿の御婦人達もいたことだろう。欧風と和風が折り混ざった明治文化は、とてもノスタルジックな気分を誘う。セピア色の心のフィルターを通しての映像が、時空を超えた四次元的な広がりを、彩子の脳裏に創り出したようだ。それはもはや、想像でしか生み出されないものであろう。

 赤い星を見上げながら彩子は、ボンヤリとした面持ちでいたが、向きを返した瞬間、背筋に冷水が流れたような冷やかさと共に、青い電流が身体中を駆け巡った衝撃を感じた。目の前に白いドレスを着た若い女が立っていたかと思うと、音もたてずに静かに歩いて、「豊平館」の中へ消えて行った。アメイジンググレースの曲が耳元で鳴っている。

 ―ア~メ~イジ~ングレ~イス......♪―

 雪、クリスマス・イブ、銀の涙......。そして、白いドレスの女......。きっと錯覚だろう、と彩子は思い直し、夕暮れ時の中島公園の中を歩いた。

 赤い星のある札幌の街。人間の様々な人生模様をつづってきた街。喜びも悲しみも塗り重ねてきた時の流れは、幾重にも金の層になって人々を覆い尽くす。

 生ける人も死せる人も悲しみを乗り越えて、前に進むのだ。前へ進む道だけが存在する。後ろへ向かう道は、もう跡形もない。全て金の粉になって、時間という堆積の層に溶け込んでいくのだ、と彩子は暮れゆく藍色の空の下で思った。

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