第五章 - 赤い星

 「丁度、三時をまわったし、ケーキとコーヒーのセットでも注文しようか。」

 島はボーイを呼ぼうとした。

「あ、ぼ、ぼくは糖尿病の心配があるので、甘い物は控えるように、とワイフに止められているから日本茶でいいですよ。」

 相田さんが遠慮がちに言う。「あ、すまないね、気が付かないで。じゃ、坂上さんはこれでいいかい?」島は彩子に問いかける。いいですよ。と彩子は答えて島の顔を見た瞬間、島は急に後ろの喫茶室の出入り口そして、再びみんなに顔を向けた時は、顔色が幾分青ざめていた。目は数回しばたたいていたが、心臓の鼓動の響きが一瞬、伝わってきたような感覚が彩子の胸に襲ってきた。あっ、この感じ。JRタワーで見た時の銀色の涙の島さんだ......。

 一、二秒の島の静寂の後、さつきが椅子を腰掛け直したようで、ギィ......という身体の全神経が逆なでられそうなくらい嫌な音が喫茶室全体に鳴り響いて、島は我に返ったようだった。なんとなく島には、誰にも言えないような深い悲しみの海が心の内に波だっているのだなぁ、と彩子は悟ったような気になった。

 それからは島は無口になった。先生なんだから何か話してくれないと困るなぁ、と思いつつ、彩子は運ばれてきたケーキを頬張る。大山さんとさつきさんの方を見ると、二人とも、さらに別な甘いお菓子を注文して食べていた。食べながら囁き合っている。何を囁いているのか分からないが、別に聞きたいとも思わない。

 相田さんは携帯電話をジャケットの内ポケットから取り出して、何やらメールを打っている。おそらく、ワイフへの連絡だろう。あぁ都会は何でもありだなぁ、色んな種類の人達がいて、みんなバラバラの生活スタイル。きっとこうだから、こうなるのだろうという事はない。そうなんだ、いつも驚く事ばかりだ......。

 彩子は一人、ポツンとこの喫茶室におかれたような錯覚に落ちた。

「さっき、二十年前に死んだ妻の亡霊を見た......。」

 島が掠れたような声で呟く。独り言のように......。

 ―えっ―

 彩子が俯いていた顔を上げ、島の口元を凝視する。

「えっ、今、何て?死んだ妻、亡霊......。」

「そうだよ。」

「そ、それって、ユウレイ。い、今、み、見たっていうんですか。」

「うん。」

 また、彩子は自分の心臓が高鳴ってくるのを感じた。

「島先生、よしましょう、亡霊だなんて。私には見えませんでしたよ。」

「いや、すまない。錯覚だろと思う。ありえないよ、そんなこと。ここは、二十一年前に俺と妻が結婚式を挙げた所で、とても懐かしい場所なんだよ。ふと、そんなことを思い出していたら、妻が通り過ぎて行ったような気がして......。」

「へー、先生にはそういう過去がおありでしたか。それで、いつ頃なんですか。」

 相田さんが携帯電話のメール打ちを止めて、島の話を聞こうとした。

「それはクリスマス・イブの晩、雪が雪崩のように降りしきる日でした......。」

「そうでしたか......。」

「.........。」

 島はひとしずくの涙を流した。

 あの時の銀の涙と同じだ、と彩子は思い、これで総てが理解できたと彩子は悟った。二十年という時の流れの中で、最愛の妻を亡くした悲しみは癒えることなく、島の心の中で眠っているのだろう。

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