第四章 - 赤い星

第四章 - 赤い星の扉絵

 次の日......。 彩子は地図を片手にススキノの街を歩く。昨夜、赤い星でのことを夫に話すと、思った通り行かない、と言ったので、一人で歩いている。

 ススキノの街を歩くのは彩子にとって初めての経験である。四十四歳になる今の今まで、札幌に来たことは何度もあるが、ススキノだけは用事がなかった所である。

 ショーの時間は十八時から。夕暮れがせまりつつある。新しい近代的な建物が建並ぶ中に昭和の初めに建てられたようなレトロな商店や居酒屋を見ると、新しさの中に古さもあって、人間の営みが歴史の中でひしめき合い、ぶつかり合い、慰め合いながら続けられてきたエネルギーが、この街を覆い被さっているような感じがする。黄昏時の気怠いような寂寥感が一層、そんな感じを際立たせているのかもしれない。

 時々、カラスが舞い降りてきてうるさかった。道路の所々に黒のスーツで身を固めた男の人が立っていたが、何の為だろうと彩子は思ったが、キョロキョロ周りを見ないことにした。キョどっていると恥ずかしいからだ。極力、地元の人のように歩いていたかったが、手元に地図を持っていればそうはいかない。せいぜい観光客ぐらいにしか思われないだろう。それにしても少し恥ずかしい。目的地の「K&M」は何処だろう。地図だとこの辺なんだけど......。

 ―あっ、あった。「K&M」―

 なんと、そこはステージのあるパブスナックであった。一階と二階は吹き抜けで、天井にはミラーボールが備え付けられており、ステージの中央には人、一人が歩けるぐらいの廊下のような舞台が五・六メートル程突き出ている。そう、それはファッションショーのステージだった。彩子が「K&M」に入るなり、大音響と共にミラーボールがゆっくり回転する。光の玉が、このパブスナックの全面に賑やかに踊り出す。彩子が薄暗がりの中で、次第に目が慣れてくると、この店内の細部がよく見えてきた。何処からか自然に湧き出てくる泉のように大勢の若者が光の玉を浴びながら動めいていた。

 あ、そうか。桐子さんはファッションデザイナーの卵なんだなぁ。自分の創作した衣装のお披露目のショーだったんだ、と今、彩子は気付く。昨日もファッショナブルなスタイルをしていたっけ......。 軽快なロックの音楽に乗りながら、数人の列に続いて桐子さんが奇抜な衣装を身にまとい、ステージの袖から大股で歩いてきた。颯爽と無表情で。桐子のモデル姿に魅とれていると、二階の席から手を振っているロン毛の人がいた。あ、島さんだ、とすぐ分かった。

 ショーは四十五分位で終了し、「K&M」のカウンターで島を挟み、両サイドに桐子と彩子が座ってカクテルを飲む。

「桐子さんはデザイナーなんですね。驚きましたよ。」

 彩子はフルーツのカクテルをひと口飲む。

「桐子はグループでショーをやっているんだ。もちろん、自分でデザインして作るのさ。しかし、材料代に金がかかって大変なのさ。昨日も持ち出したんだよな。キ・リ・コ。」

 島の隣の桐子は鼻を鳴らしながら、

「それを言わないでよ、パパ。昨日はどうしようもなかったんだからぁ。」

 と言った。

 まるで、この親子は少し遠目から見ると、父と娘のようには見えないだろう。最近、流行している友達親子は大抵、母と娘なのに、この二人だけは例外のようだと彩子は思った。

「じゃ、パパ、先に帰ってるから。彩子さんと飲んで泥酔しちゃだめだよー。」

 茶目っ気たっぷりな桐子の物言いに島は少し照れ笑いをしながら、桐子に向かって手を振っていた。

「お前こそ、"帰る"なんて言って、朝帰りじゃだめだぞう。」

「ふ~んだ。」

 桐子は赤い舌を出しながら、くるりと踵を返して「K&M」を出て行った。

「やんちゃ娘でね。現代っ子というか、手を焼いている有様です。今年の三月に某デザイン学校を卒業したばかりなんですけどね。夢ばかり大きくて......。ワタシはデザイナーになるの、とかなんとか言って、会社勤めをしないんですよ、いわゆるフリーターでして......。」

 島は溜め息ともつかない様子で、そう言ってからグラスに半分位の水割りを一気に飲み干した。

 彩子もS町に残してきた恵と隼人を思い出して、今頃どうしているのかと、二人の顔が脳裏を霞んだが、少し不思議なことに気が付いた。

 ―そういえば、島さんの奥さんの姿が見えてこないわ、いないのかなぁ。離婚、死別......。でも、そんなこと聞けないわよね。昨日、会ったばかりだし。いや、昨日じゃない。去年のJRタワーで見かけたのが最初だった......。なみだ、ナミダ、銀色の涙......―

 彩子は少し酔いがまわってきた頭で、ボンヤリあのクリスマス・イブの夕暮れの光景を思い出していた。

「もう、こんな時間になりましたね。二十時を少しまわりました。帰りが遅くなっては御主人に申し訳ない。ススキノの由来も今度、講義でゆっくり話したいと思いますが、今日はこの辺で。」

 島は礼儀正しく、何故か急に先生らしくなって丁寧に言うので、彩子は少し面食らってしまう。

 ―あれ、時々雰囲気が変わるんだね、島さんて......―

 彩子が帰り仕度をしているうちに島は、軽業師のような身のこなしで、早々と「K&M」を出て行った。

 彩子は帰る途中、長女の恵に携帯電話で元気でいるか安否を聞いた。二人とも元気でいるとのこと、安堵する。

 ススキノは南の方向で、彩子の住むアパート「カサブランカ」は東の方角にある。不夜城の都会の喧噪をくぐり抜けて、ふと夜空を仰ぐと、乳白色の満月が輝いていた。その満月の方向に十階建ての「カサブランカ」が聳え立つ。

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