最終章 この時のために - Magic Recruit

 シャントは泣いていた。ただひたすらに泣いていた。何が悲しいのか、とにかく泣いていた。

 つい先ほどアルディと共に部屋に帰ってきたのだが、彼の方は、少々の時間準備をした後、すぐさま床に就いた。

 それを見るや否や、シャントの大きな目玉から、止め処なく涙が流れ始めたのだ。遊んでくれなかったからとか、そんな安っぽい理由ではない。

 彼女は、主人が努力しても努力しても結果が出ない、その不条理が悲しく涙しているのだ。

 彼女は一番近くでアルディを見てきた。この何週間かは間違いなく彼女が他の誰よりも彼の傍にいた。その並みならぬ情熱を一番よく知っているのは、他でもない、妖精のシャントなのである。

 彼女はただひたすら悔しかった。

 社会は厳しい。時には、いくら努力を重ねても報われないと思ってしまうほどである。ましてや、経験の浅いアルディは努力の仕方さえ皆目検討もつかなかったのだ。

 主人を不憫に思うなどというものではない。同情や不憫さで涙は出るものではない。

 シャントが泣いていると、その涙に合わせるように外では大雨が降り出した。まるで、くめども尽きぬ彼女の悲哀のように。

「あらあら、どうしたの? そんなに泣いちゃって」

 突然、窓の外側から声がした。

 シャントは、はたと顔をあげ、窓を見たが誰もいない。と彼女は後ろから気配を感じ、思わず振り返るとそこには、いつの間に入ったか、白い布をまとった女性が立っていた。否、その足は床上十センチほど浮いているではないか。

 シャントは飛び上がった。目の前の女性は"ゴースト"としか考えられない。さしもの妖精シャントといえど、ゴーストには恐怖する。急いで、アルディを起こそうと彼の寝ているベッドへ向かって急発進した。

「ちょと待ってよ、怪しい者じゃないから、ね?」

 女性は、シャントを制止して言った。怪しくないというのにはいささか無理があるが、思わず女性の顔を見たシャントはそのあまりもの美しさについ見とれてしまった。美には、種族を超えて通ずるものがある。人間の男ならば一目惚れしてしまうだろうほどの美しい女性に、妖精のシャントでさえ目を奪われてしまったのは、無理からぬ事であった。

「まぁ、そこの彼を起こしても、私の姿は見えないでしょうけど」

 女性は小声でとてつもなく意味深な言葉を放った。

 やはりゴーストでは? シャントは"気"を感じるレーダーの感度を最大に上げた。だが、不可解な結果が出た。この女性からは、おどろおどろしさどころか、何も感じることができないのである。たとえゴーストであったとしても、生命そのもののような、何かあいまいなものを感じることができるのだが、この女性からはそれさえも感じることができないのである。

 一瞬、自身が夢を見ているだけのでは? とシャントは疑ってみたが、そうにもそうも思えない。女性はそれを察したか、自身の存在をできるだけわかりやすく説明し始めた。

「うーん、そうねぇ、あなたの目にどう映ってるかは知らないけど、少なくとも、生き物としては感じてないでしょうね」

 概ね女性の言ったとおりであった。それではこの女性は一体何者なのか。

「私は、人々には精霊だとか、神だとか呼ばれているんだけどね」

 この女性は、とんでもない事を口走った。自らを、あらゆる生とし生けるものを超越した"神""精霊"と称したのだ。人が聞けば、何をご冗談を、となるところだが、それを聞いたシャントは納得してしまった。それは何故か、この女性から気配を感じないことが一つ、妖精の彼女にとって、精霊という存在が身近で、そういった"何か"がいることを常に感じるからだ。女性はシャントの目を見つめ、話し続けた。

「まぁ、神と言っても実際には何もできないの。ただ、人やら動物とか、生きている者たちに運命を感じさせ、縁を作り出す、ただその役割を持つだけの存在よ」

 神だというからには、さぞかし様々な力を使えるのかと思いきや、そうではないようだ。女性は複雑な顔で目をそらしてしまった。

 女性は目をそらした先でアルディの方を向き、シャントにとって、今最も聞きたくない事実を言い放った。

「だから、私は"運命"というものがわかるのよ。隅々まで。あの青年が魔道師になれないってこともね」

 シャントは、一瞬頭が真っ白になった。女性があまりにカラッと言ったため、事の重みを瞬時に感じれなかったのだ。

 しかし、シャントは女性が何を言ったのかを飲み込むと、一気に血の気が引いていった。(妖精のいう"血"とは人間のそれとは違うものなのだが)そして、愕然とした。

 うなだれるシャントに、女性は不思議そうな表情で言った。

「...妖精さんにしては、ずいぶんと感情がはっきりしているのねぇ。あの青年によほど恩があるのかな?」

 シャントは顔を上げ、女性の顔を見た。と、女性は微笑を返し、光を差すように口を開いた。

「一つだけ、彼が魔道師になれる方法があるわよ」

 シャントは飛び上がって、女性を見た。女性は微笑んでいたが、すぐに顔を曇らせてしまった。

「ただ...、その方法を実行すれば、あなたはこの世にはいれなくなるでしょうねぇ。なんせ、妖精でいるという、あなたの"宿命"を換えてしまうからね」

 はて、それはいかようなことであろうか。最近になってようやっとはっきりした思考を身につけつつあったシャントであるが、その言葉の真意を汲み取れるはずもない。だが、その短い一言から、シャント自身になにか起こる方法なのだということだけは理解した。それでも彼女は身を乗り出し、その方法を聞きたいと懇願する態度を示したのである。

 女性は苦笑いを浮かべて続けた。

「その方法はね、あの青年のためになる事を、あなたが思いつく限りするだけでいいのよ」

 シャントはきょとんとした。女性が言ったことならば、とうの昔からやり続けている。それでも彼は魔道師になることができないでいるではないか。それに、それではシャントの身に何かが起こるということに結びつかない。シャントは不可解でならなくなった。

「そうね、そう、今までずっとやってきたんでしょうよ。でもね、"一回"をもっと大事にしなきゃ。特に次の試験はね」

 シャントの思惑を読んだか、女性はまくしたてるように言った。

 "一回"を大事に...。それはいかようなことなのか。これまで何度も必死に事を行ってきた。アルディのためにあらゆる力を使った。それでも足りないというのか...。

 シャントの小さな頭は、めまぐるしく回転しだした。その思考力は、すでに妖精のそれを遥かに凌駕している。自分の限界を超えた主人に対する思いやり。

 彼女は既に、アルディの幸せがあれば、この身はどうなってもよい、とさえ思っていたのである。

 女性は、シャントの必死な様子を見て、何か確信を得たのか、激励の一言を放った。

「......運命が変わりました。あの青年は魔道師になれるでしょう。必ずね。自分のやっていることは、あの青年のためになっていると信じてやるのよ、妖精さん?」

 女性は、もう一度確認するようにシャントに聞いた。

 シャントは真剣な眼差しを返した。それが何よりの応えであった。

 女性はそれを見て、ほっそりと微笑んだ。

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