最終章 この時のために - Magic Recruit

 彼の心は弾んでいた。こんなに、心弾んで部屋に戻るのは初めてではないだろうか。そして、彼は、この結果を、一番報告したい相手がいた。

 シャントである。最初に報告、というのは、お母さんに譲ったが、本当に一番話したい、歓喜を分かち合いたい相手はシャントであった。彼女の支えが無ければ、ここまで来ることはできなかった。あの妖精に出会ってからというものの、彼の人生の歯車は、急速に正の方向へと回転を始めていた。思えば不思議な出会いであろう。そして、まったく奇異な妖精である。人とここまで心を通わせ、お互い大切な存在となるような妖精が他にいようものか。

 アルディは、感動と共に、感慨深くアパートの階段を昇っていた。

 と、自分の部屋の前に着いた彼は、意気揚々と、ドアを開けた。

「たっだいまー! シャント、やったよ、明日から魔導師に......」

 彼は、勢いよくドアを開け、これまた勢いよく、帰りを待つシャントに話しかけたが。だが、彼は思わず言葉を詰まらせてしまった。なぜならば、部屋の中では彼の予想だにしなかったことが起こっていたからだ。

「......!?」

 部屋の中に、見知らぬ女の子がいた。十八~二十歳くらいであろうか。髪はハニーブラウン色で、ウェーブがかかったロングヘア、服装は、貴族としか思えないほどの立派なドレス、顔は、息を飲むほどの美しさ。否、美しいというより、かわいらしいと言おうか、幼さの残る顔立ちである。

 アルディは、頭が真っ白になった、不法侵入されたことよりも、その女の子の美しさに見とれてしまったのだ。

 だが、瞬きの後、女の子は消えていた。

「......? い、今のは......?」

 見間違いとはどうしても思えなかった。窓から指す木漏れ日の中に佇んでいた女の子。たった一瞬であったが、それだけ、見間違えたとは思えないほど、その女の子はアルディの脳裏に強烈に焼きついて離れなかった。

 ゴーストか......? 一瞬身震いをしそうな解答が思いついたが、そうも思えない。おどろどろしさは微塵も感じなかった。寧ろ、なんだか感じたことのある気配であった。どこで感じたものか。いつもいつもずっと感じていたような......。

 ふと、彼は我に返った。それよりも、一刻も早くシャントに吉報をしたかった。彼は、彼が話しかけたにも関わらず、シャントが来ないことがわかると、机の上のビンに、飛びつくように歩み寄った。

「なー、シャント、寝てないで出て来い......」

 ビンを見た彼は再び息を飲んだ。

 ビンの中にシャントはいなかった。

 替わりにビンに入っていたのは、小さな種であった。

「あれ......、シャント、どこ行った......?」

 彼は、部屋中を見渡した。妖精が隠れてしまうような物陰も見た。窓を開け、窓から首を出し、あたりを見渡した。窓枠の陰も見た。

 しかし、シャントはどこにもいない。

 いつも、話しかければすぐによってきてくれるシャント。だが、いくら呼びかけようが、捜そうが、彼女は出てこなかった。

「ど、どど、どういうことだよ、どこに行ったんだよ、シャント?」

 彼はどうしようもない不安に襲われた。昨日の、スライム状になったシャントを見た時よりもはるかに強い不安が彼に圧し掛かった。

 今にも、シャントを捜しに部屋を飛び出しそうになった彼は、ふと、ビンをもう一度見た。

「......種......?」

 彼は、すがる思いで種に呼びかけた。

「......シャント、君なのか......?」

 種は応えない。ピクリとも動かない。

 だが、彼にはなぜか、その種がシャントなのだと強く感じた。なぜかはわからない。だが、その気配は、その種の気配は、ずっとシャントから感じていたそれであった。

 彼は、ビンを手に取り、ひねり出すように口を開いた。

「......なんだよ、シャント......」

 彼はその先の言葉を中々出せなかった。言葉に出したら、その事実を認めてしまう気がした。 だが、アルディは言葉にした。

「..............................死んじゃった、のか..............................?」

 彼は、急にシャントと過した日々を走馬灯のように思い出した。

 魔道具屋で、憤激しながらも、解放すると決意してビンを買ったこと。妖精の森で、ビンの封印を解いたこと。その時のシャントの喜んだ表情。街中を散歩して、少年にからかわれたこと。魔術の勉強の時も、ずっと傍にいたこと。お母さんと三人で一緒に食事したこと。合間合間の就活の事。ラントのお母さんを捜した時の、お姉さんのような姿。アルディが堕ちてしまった二週間のこと。スライム状になってしまった時のこと。妖庵院での事。あの塔の上で、泣きじゃくるアルディを慰めてくれたこと。

 彼は、シャントが死んでしまったことを悟った。出会ってからいつも傍にいてくれた。誰よりも心配してくれたシャントが、この世からいなくなったことを悟った。

 この種は、シャントの成れの果て。なぜ死んだのかはわからない。せっかく、"食あたり"から回復したというのに、なぜ死んだのか。彼にわかろうものがなかった。

「な......、なんでだよ、シャント......、なんで死んじゃったんだってんだ......?」

 彼は泣かなかった。否、泣けなかった。悲しいはずなのに、この世で一番悲しいのに、昨日の感情の爆発の時より悲しいはずなのに。

 涙とは、感情が高ぶった時に出るものである。だが、それは、心にまだ余裕がある時に出るものらしい。

 今の彼にはそんなものは無かった。かけらも余裕など無かった。

 彼はふと、昨日の夜見た夢の事を思い出した。美しい女性とシャントが話している夢の事、女性が話していた内容を..............................。

「俺が...、魔道師になった時、シャントは妖精でいられなくなる......」

 なんで、そんな夢を観たのかもわからない。そして内容もよくわからない。だが、夢の女性のその一言、その答えがこの変わり果てたシャントの姿ではないか。

 彼は、そう気付いたとき、全てを悟った。シャントと出会って以来、様々な事が上手くいき始めた事を。それらが全て、シャントの妖精の力を使った尽力によってもたらされていたことを。

「シャント......、全部君のおかげだったのか......?」

 そうだ、錬金術の試験の時、アパートから出ようとしたら、にわか雨が降り出した。傘を取りに戻った事で、エリクサーを忘れていたことに気付いた。

 お母さんが来たとき、彼が森に採取に行ってる間、シャントとお母さんは二人きりだった。帰ってきた時に、お母さんが応援してくれると言ってくれた。

 ラントと出会い、あの子を救うことができたのは、直接シャントのおかげだ。

 そして、今日の彼の、全てに対する意識が変わり、完璧に、真剣に、就職試験に挑戦し、見事採用を勝ち取ったこと。

 彼は、全てがシャントのおかげだったのだと、そして、今日シャントは、妖精の力の全てを使い果たしてしまったのだということを。

「なんてこった、なんてこった......、なんで、なんでだよシャント、なんで俺なんかのために、こんな姿になるまでなってしまったんだい......?」

 アルディは、種に語りかけた。もう、シャントは妖精ではない。言葉が無くとも、動作や表情で応えてくれるシャントはもうそこにはいない。

 だが、シャントの気持ちが彼の胸の中に入ってきたような気がした。ありがとう、ありがとうと、ただただ感謝の心が彼の胸の中に入ってきた。

「あぁ......、シャント、生きてる、生きてるんだな、君は死んだんじゃない。種になって、生きてるんだな。妖精じゃないけど、生きてるんだな......?」

 彼はシャントの心を、否、彼女の命をダイレクトに感じているようであった。命のみの存在。が彼の中に入っていった。妖庵院の老医が言ったような、命、そのものを。

 それがわかった時、目の前に、さっきの女の子が現れた。

 アルディは三度息を飲んだ。鼻がくっつくような距離に、女の子の顔がある。

 彼の心臓は急に高鳴った。女の子のいい匂いがする。

 女の子は、アルディを抱擁した。

「ありがとう」

 女の子が短く、そして小さく言った......ような気がした。

 そして女の子は、一度体を離し、その唇をアルディの唇に重ねた。

 女の子の唇の柔らかい感触。彼は、不思議と、胸の高鳴りより、安心感が強くなるのを感じた。思わず目をつむってしまった。全てが報われたような気がした。

 彼が再び目を開けたとき、もうそこに女の子はいなかった。

 目の前には、ビン。そして種。

 アルディは、しばらく呆然としていた。何も考えられなかった。

 彼はふと、学院の授業の中で、チラッと妖精の事を学んだ事を思い出した。妖精とは前世に罪を負った人間が生まれてくる姿、という事。妖精は、感情も持てず、食べ物を食べることもできない。妖精同士でお互い支え合うこともできない、終生孤独を味わい続ける存在であり、それが、罰なのである...と習ったことを。

 その授業の時は、かわいそうだと感じつつも、聞き流すようにその話を聞いていたアルディだが、こと、ここにいたっては、その伝説にも似た話は真実なのだと悟った。

 彼は、ラントを見つけた洋館に入るとき、シャントが震えてなかなか入ろうとしなかったことも思い出した。そして、シャントが、洋館に飾られていた大きな肖像画をじっと見ていた事も。

 あの女の子だ。そう、あの絵にいた女の子。

 今しがた目の前に現れた女の子だ。

 だが、肖像画の女の子は、どこか寂しそうな表情をしていたのに、現れた女の子は、とても明るい表情をしていた。

 彼は、確信した。女の子はシャントなのだということを。

 最後のお別れをするために、彼女の本当の姿で、感謝を言いに現れたのだ、と。

 罰を受ける宿命を換える事ができたからなのか。

 夢の中のあの女性が言っていた"妖精の宿命"。

 であるならば、いかようにして、その宿命を換えたというのか。こうやって種になったのも、本来の姿を現すことができたのも、宿命を換えたからこそではないか。

 妖精が、何の感傷もできないのであるならば、その宿命とやらは換えようものがない。宿命転換とは、人のために尽くすこと、他のために尽力することによってのみ成しえることだからだ。

 彼はそこまで思慮して、全てが氷解した。

 そう、彼女は、アルディに尽力してくれたのだ。だから妖精である宿命を絶つことができたのだ。彼の、魔道師になる、という夢を叶えるために、尽力し切ってくれたからなのだ。

 本来、妖精では成しえない行動であろう。人間並みの心を持ち合わせていなければ、そのように他に尽力などできようものがない。

 妖精である彼女が、人のような心を取り戻すことができたのは、アルディに出会ったおかげである。そして、そのアルディは、シャントのおかげで、魔道師になる夢を叶えることができたのである。

 どちらか一方だけの幸せではない。お互いが、お互いを所願満足へと導いた。

 彼は、言いようの無い歓喜と、達成感、全ての感動の頂点に達していた。

 もう、何もいらない、これ以上ない喜びだ、と強く感じていた。彼自身の心、命の根っこから沸き上がるような、強烈な歓喜が押し寄せてきた。

 そして、どうしようもない、感謝の念にかられた。

 今まで生きてきた中で、ずっと感じていた闇が、全て切り裂かれたような感覚に襲われた。

「シャント......、シャント......」

 彼の中の全てが歓喜に満たされた。

 ここで初めて彼の頬を涙が濡らした。

 一粒の涙。その涙は、ビンの中へ落ち、シャントの種を潤した。

「ありがとう」

 彼は、自身の全ての心を込めて言った。

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