第五章 - 赤い星

 重々しい造りの黒い扉を開ける瞬間、大山と一緒にさつきが軽い笑い声をたてて、大山とじゃれあっている気配が感じられると、彩子は内心、少しムッとした。明治文化の薫りにどっぷりと浸りたい思いでいるのに、若いさつきにぶち壊されたような気がしたが、幸いすぐ静まったので安堵した。

 「豊平館」の中を歩きながら島が語りだす。

『国指定重要文化財である豊平館は、明治十三年に北海道開拓使直属の洋風ホテルとして建築され、国の要人、並びに外国のお客様の宿泊所となっていたといわれています。明治天皇を始め、大正、昭和の天皇の行啓の宿泊所ともなり、現在では市営総合結婚式場として、新しい人生の門出を祝う施設となりました......。』

 島先生の案内で、二階の広間に一行は上がって行った。

 目を見張る程の鮮やかな朱色の絨毯が床全体を敷きつめ、カーテンと絨毯が同じ牡丹唐草文様であるのが印象的である。壁の色は淡いクリーム色で、部屋全体の色彩は、とても落ちつきのある色合いだなぁと彩子は思った。入り口から入って右側の壁の上部には、墨で「豊平館」と認められた、大きな額が掲げてあり、署名した人の名前をよく見ると〝三条実美〟とあって、彩子は驚く。

 "三条実美"とは公家の人で、維新政府では太政大臣(現在の総理大臣)に着任された方だと、歴史の本で読んだことを彩子は思い出していた。その額は百数十年の時を経て、薄茶色に変色していた。時の流れとはこんなにも白い紙を変色させるものなのか、薄い紅茶色に近かった。時間と空気と人々の営みが溶け合って、紙に染み込むものなのか。過ぎ去った時代を彷彿させる何か、特別な威厳のようなものが彩子の脳を痺れさせる。しばらく、その額の下で佇んでいると、島が呟く。

「あれ、大山さんとさつきさんの姿が見えないなぁ......。」

「外の廊下にでも出て、休憩しているんではないですかぁ。椅子が並べてあったけど。」

 相田さんが、特別二人には興味がないという風にぶっきらぼうに言う。島も、あ、そうだわきっと。と言って関心がなかった。三人はだいたい見終わって、二階の梅の間に進んだ。

 この梅の間は、三代にわたる天皇の御座所となった部屋である。さほど広くはない部屋だが、中央には洋風な大きな丸いテーブルと、背もたれのある椅子がしつらえてあった。寝室の小部屋を覗くと、小さなベッドが置いてあり、明治時代の高貴な方々は小柄であったのが想像できる。

 それにしても、大山さんとさつきさんは何処に行ったのだろう、と彩子は訝しく思いながらあたりを見渡したが、二人の姿は一向に見えない。一階までの階段をゆっくりと降りていくと、正面に結婚式場になっている会場と、その右隣は喫茶室になっていて、「豊平館」を訪れた人達の休憩所となっていた。今日は一件、結婚披露宴があるようで、数人のボーイさん達が銀色のお盆を片手に料理や飲み物を運んで忙しそうに動いていた。

 この「豊平館」は洋風建築だけあって、天井がとても高い。その為か、息苦しさがまるで無い。空気の対流がスムーズに行われるのか、常に新鮮な空気で満たされているという感じだ。

 当時はどんな料理でお客様をもてなしたのであろう。彩子は頭の中で思い浮かべてみる。とても食べてみたい衝動にかられていると、島が、ここの喫茶室でお茶でも飲みながら休憩していきましょう、と言うので、相田さんと彩子は賛同して喫茶室に入った。すると、この喫茶室の一角の白い布を張ったテーブルに、大山さんとさつきさんが談笑し合っているのを目撃した。

「あー、皆さん、すみませんね。抜け駆けして。先に来てました。さつきが喉が渇いた、腹が空いた、などと言うもので、つい......。」

 大山さんは照れて、頭を掻きながら言う。

「まるで、子供みたいだね。」

 相田さんは遠慮なく言う。

『ホント!』

 島と彩子はほとんど同時に言ったので、みんなで一斉に大笑いしながら席についた。

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