第六章 一瞬の永遠 - Magic Recruit

 二人は街側を眺めていた。相も変わらず幻光虫は踊っている。街全体が、一つのダンスホールのようだ。

 彼は再び語りだした。

「それだけを信じて今まで努力してきたよ。夢が消えたら、俺も消えてしまう。そう思うことだけで、踏ん張れたんだ。でも......、壁は思ったよりも厚かったんだ」

 語尾はかすかに震えていた。彼は、再び目に溜まる涙を袖で拭き、彼が、苦しみ、悩み抜いてだした結論を言い放った。

「次で最後にしようと思う。次、魔道師になれなかったら......、もうあきらめる」

 シャントはそれを聞いて飛び上がった。彼女の全身に電撃が走った。

 次の瞬間、アルディの目の前が急に光に覆われた。

「だって、とりあえず就職しなきゃさ...って、わっ! ぶっ! 何すんだ!」

 シャントは、アルディの顔面に体当たりした。そして、ダダをこねる子供のように、顔やら、頭やらに何度も何度も体当たりしてくる。アルディにぶつかる度に、ポン、ポン、といい音が鳴る。

「だ、しかた、ないだろ! わっ、もう、落ち、着けって!」

 彼女は聞かずに体当たりし続ける。何が彼女を突き動かすのか。体当たりの度に「あきらめるな!」と声が聞こえてくるようだ。

 アルディは不可解極まりなかったが、彼女の言いようの無い思いがじわりと伝わってきた。

 シャントにとって、アルディは恩人以外の何者でもなかった。あの牢獄から解放してくれた。そのおかげでシャントは蘇生したのだ。生きながら死を味わっていたシャントに生を与えたのは。まさにアルディなのだ。

 その主人が夢をあきらめようとしている。希望とまで言った夢を捨てようとしている。彼女はそれを見過ごすことなど到底できようものがない。この妖精の胸中には既に、人間味のあふれる"心"が生まれていたのだ。

「なんだよ......、あきらめるなってことか?」

 ようやっと、アルディはシャントの心を代弁した。

 シャントは、その言葉を聞いた途端に体当たりを止めた。肩(と言っても、妖精に肩はなく、体から腕が出ている部分と言おうか)で息をしている。体力を消耗しながらも、強い目線で主人を見てきた。

「俺は、魔道師に...、なれるのか...?」

 彼はこんなことシャントに聞いても、否、誰に聞いても答えようのないことはわかっていた。だが、目の前の大切な存在が、あきらめるなと言う。ウソでも気休めでも構わない、うなづいてほしかった。希望をつなげるのならば、つなぎたかったのだ。絶望の淵に立ったあの二週間の間もずっと...。

 彼はシャントをじっと見つめたが、彼女は一向に動く気配もない。彼女もまた、アルディをじっと見つめた。物言わぬ、うなづきもしない彼女であったが、その目には力が入っている。

 アルディはそれがどうにも不可解でならなく、じっと見つめ返すことしかできない。

 どういうことなんだ? 何が言いたいんだ? 疑問ばかりが頭の中をグルグルと巡る。

 と、彼は急に、シャントの言わんがせんとすることを解した。分厚い壁が一気に崩れ去ったような感覚が彼を襲った。

「なれるか、なれないか、じゃない......。できるか、できないかでもない」

 彼は呪文のように言葉を綴る。

「やるか、やらないか、そうなんだ、そうなんだな? それだけなんだな?」

 彼の目に再び涙がたまっていく。彼の目の奥のシャントは、うなづく代わりに瞬きをした。それを皮切りに彼女は再び動き出した。いつものようにフワフワと。

 アルディにはそれが正解の合図であるのが、すぐにわかった。なんという妖精であろうか。アルディの複雑な心境を解し、答えを出してくれたというのだ。しかし、それはアルディ自信の心奥の答えを察知し、彼に気づかせただけなのかもしれない。

 彼の心の霧は、散っていった。彼はまたも涙を流し始めた。しかし、心は先ほどのそれとは全く違う。

 先ほどの涙が地獄の底からの爆発であるならば、今の涙は天国のそのまた上の"歓喜"による涙である。

 彼は今の今まで、できるかできないか、で物事を判断していた。なるほど、現在の自らの実力やらを見据え、それによって判断を下すのは大事なことであろう。社会において、出来ない事を、できると言い張ることほど質が悪いものはない。それによって、結局仕事が出来なければ、完全に事故である。

 だが同時に、現在の状態だけでその先を判断するのも愚かしいことであろう。なぜならば、この世のあらゆる有象無象は、常に変化するものだからだ。ましてや、人は成長する生き物である。今できないことも、次の時には出来るようになっている、それが常なのだ。

 今の彼では、魔道師にはなれないのであろう。なにより結果がものを言っている。だが、今以上に努力をしたらどうであろうか。今の自分を越えることができたらどうであろうか。違う結果が出てくるはずである。

 仕事は縁によって決まるものなのかもしれない。しかし、その縁をつかむのも、また努力ではないか。

 彼は努力をしていた。天才肌ではなく、努力家であるとの自負があった。

 しかし、こと彼にいたっては、自分の手の届く範囲での努力であった。自分にもこれはできるだろう、できるはずだ。そんな消極的な努力にとどまっていた。受けた魔導社も、大手で、彼があこがれる全てを兼ねそろえているようなところはあえて受けていなかった。自分の実力を見据えての行動と言えば聞こえはいいが、それでは挑戦にはなるまい。彼は戦う以前に、戦ってさえいなかったのかもしれない。

 彼はここに来て決意を固めた。"魔道師になる"と腹を決めた。それは巌のように固く、力強い人生勝利への扉を開く力となった。

 彼はまたもシャントにたすけられた。恩を報じても、報じきれぬ、大恩となった。そして一生涯かけて報恩していこうとも決意した。

 彼の胸には、いや増して大歓喜の波が押し寄せてくる。止め処なく流れる涙はいつしか止まり、昇華し、歓喜へと変わっていった。

 その瞬間から、次々とやるべき事が彼の頭に駆け巡る。すぐにでも行動したくなり、体の底からうずいたが、今日はもう深夜にさしかかろうとしてる。ひとまず帰ることにした。

「シャント、ありがとう、本当にありがとう」

 シャントは微笑んだような表情を見せた。彼が一つ壁を打開したのを祝したか、いつもより大回りに彼の周りを舞った。アルディも、それを見てまた一つ喜悦で胸が浸されていった。歓喜が歓喜を生む。元来命と命のあり方とはそこにあるのではないだろうか。

 今の世の中、悲劇が悲劇を呼ぶ絶望の世界と皆あきらめている。

 しかし、それは一つの様相に過ぎぬのではないだろうか。

 とかく、アルディは様々な助けを借り、彼自身を革命した。絶望をダイナミックに希望へと換えてしまったのだ。そして、シャントもまた妖精という立場で、彼と同じ事を成し遂げたのかもしれない。

 それは、内なる精神の革命。言うまでもない、"無血革命"であった。

 彼は体のうずきを止めようがなかった。しかし、その有り余る情熱を、明日の力に換えることにした。シャントという縁によって復活した、彼の内なるパワーは、次々に知恵へと変換されていく。湧き出る知恵が水ならば、それまでの苦労はポンプにも似ている。シャントは、ポンプと出水口をつなぐ、パイプとなってくれたのだ。

 アルディはさわやかであった。そして、明日に控える"希望の種"を発芽させるため、一段と決意を深めるのであった。

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