第六章 一瞬の永遠 - Magic Recruit
街は昼の活気に満ちていた。昼食をとりに外に出ているものがほとんどであるが、様々な人がいる。
この街は、魔法で有名な街だが、オシャレやファッションでも一目置かれる町である。魔法を使う人は地味な人間、そんな世間の目を払拭したいからなのか、自然と若者はファッションにこだわるようになっていた。
そんな中、急いで出てきて、ほとんど寝間着のまま出てきたアルディは、一際目立っていた。
それを気にすることも無く、彼は無用心にも財布の中を覗いていた。
中にはお札が五、六枚。1スコール五千メルほど入っている。食費だけでいえば一ヶ月もてば節約上手といったところか。
彼は現在所持金を確認しているわけではなかった。
「いや、残ると思わなかったなぁ」
先の診療で半分は飛ぶかと思いきや、全額残ったのだ。"精の出る妖庵院"では、なんと初診だからと無料サービスをしてくれたのだ。なんだかよくわからない気前のよさである。あまり人が来てる感じはしなかったのにそれでいいのだろうか、国から研究費でも出ているのだろうか、など様々考えてしまったが、老医の影響とアルディの元々のタイプが復活してか、いつの間にか楽観的な結論を出すと共に、考えるのを止めていた。
アルディは、自分の部屋に帰ると、すぐ様動き出した。帰途の間にやることは決めていたのだ。
「さぁ、掃除だ!」
バタバタと早速掃除道具を取り出し、まずははたきで、机の上や、箪笥の上やらをはたき始めた。
アルディという人間は、部屋にしろ、ファッションにしろ、"体裁"というものを一切気にしない彼であったが、家事、料理、はたまた専門の魔術においても、"手順"に関しては異常にこだわるのが常であった。だから、掃除の基本セオリーである"掃除は上から"を知っていたのだ。
しかし、中々どうして悪戦苦闘していた。この二週間分の、否、お母さんが来てくれた日以来、全く手をつけていなかったホコリ達が、大挙して彼に襲い掛かったからだ。
「ぶえ...こいつはひどいな...」
彼は咳き込みながらも、懸命に戦った。
それにしても、なぜいきなり掃除なのか。言わずもがな、シャントのためであった。老医が言った、気が"どよんでいる"という一つの要因に、この部屋の状態があるのは自明の理である。シャントがせっかくすっかり治って帰ってきても、部屋の状態が酷くて、ぶり返しでもしたら元も子もない。だから掃除なのだ。
アルディ自身も、部屋と共に心が洗われていくのを感じていた。
三時間ほど経っただろうか。窓の外は夕赤に染まっていた。
それにしても、この街は晴れが多い。それでいて緑が多いのは、魔法の成せる業か。今夜も星が綺麗だろうな、などと思い募りつ、彼は掃除道具をたたみ始めた。
時を同じくして、"精の出る妖庵院"では、片づけが始まっていた。少ない"客"を診療した時に使用した道具、はたまた普段の研究に使用した薬品などを幾人かの看護師達がパタパタと手際よく片していた。
老医も片付けをしながら(部下に触られたくないものだけ)ふと、窓の外の夕日を眺めた。そろそろ、試験管の中にいる妖精の主人が来る頃である。
老医はシャントに目を移した。もう食あたりは全快しているようであった。だが、彼女は試験管から出もせず、暢気にグースカと眠っていた。
老医はこの巨大な試験管もさっさと片付けたかったのだが、この液体は人体には猛毒で、中の妖精を取り出そうにも、手をつっこむことができないのだ。はさみで取り出そうにも、デリケートな妖精にはそれもままならず、液体を排水溝に流せば、妖精も一緒に流してしまう可能性がある。
老医が、この"食あたり"の点滴を開発し、使用したのは二回目だが、早くも改良の必要を感じていた。
主人が来るまでほっとこうと、片づけを再開した老医は、物思いにふけっていた。
アルディのとの問答を思い出すにつけ、若い頃師事した大魔道師の事を思い出していた。
東洋のある哲学こそ、魔術の本来あるべき姿、と主張していたその魔道師は、社会的にタブー視され、この国でその者を知る者は少なかった。老医は、若かりし頃、その者に師事し、傾倒していた。
老医にもその者の言うことこそ真実であると確信していた。それ以前に、大変魅力的な人物であった。
老医はあるサバト(ここでいうサバトは、魔女の集会ではなく、魔術師達がその魔術体系に磨きをかけるために、集まる一種の会合である。マーリアルでは、魔術系の教会が、お互いの刺激のためにと、こぞってサバトを開いている)で、その人物に出会った。初対面であったにも関わらず、その人物は親しげに話しかけてくれ、なぜこんなにも温かく接することができるのか、疑問よりも興味が湧いた。なにより、他のサバトとはまるで雰囲気が違っていた。何か真剣さと、さわやかさを感じたのであった。
その違いとはなんであろうか。幾多のサバトが、魔力の増加と精霊に対する研究のみであることに対し、そのサバトでは自己の欲求と魔術をいかに日常の生活に生かしていくかが焦点となっていた。
かくして、老医はその魅力に惹かれ、教会を転属した。いな、その時はただ単に他の教会と違う、という理由だけだったのかもしれない(老医の元々の性格が、人と同じものに興味を持ちたくないという性格からであろう)。しかし、次第にその哲学の深淵さにのめりこんでいくのであった。
若かりし老医はその教会長を強烈に師事した。どこに行くにも一緒に付いて回った。
こうして月日が経ち、その"人生の師"が亡くなった今でも、その哲学を護り、実践している。その実践は多岐に亘るが、老医の生活、人生にそのものに、大きな活力と利益を生み続けている。
老医は、あの青年と話をしていると、師の事を思い出してしまった。なぜだろうか、いささか不可解であったが、なんとなく原因はわかっていた。
物思いにふけっているうちに、看護士から呼び出しがきた。あの青年が、妖精を引き取りに来たのだろう。
老医は青年を診療室に招くよう指示した。
シャントは、アルディの周りをくるくると回っている。もう全快といったところか。
しかし、アルディは一つため息をついた。この眠り姫ときたら、何度声をかけてもなかなか起きなかったからだ。デリケートな妖精に、手荒なマネはできない。まったくいいご身分である。
とかく、あんなひどい状態から全快できたのだ。彼は安堵感に浸っていた。
「本当にありがとうございます。しかも、診療代までサービスしていただいて...」
アルディは、この老医には感謝してもし尽くせないことを悟った。しかし、老医はいつもの調子で
「ん? あぁーあ、任せておけって、僕ぁ、世界一だからね! プー太郎からお金取るわけにもいかんし」
彼はガクッとうなだれた。彼自身の謙遜心が無為に終わってしまったからだ。
(まったくこのじじぃは...)
しかし、この奔放さがこの老医のよさなのは、彼はすでに気づいていた。
シャントはうれしそうにひたすらアルディの周りをくるくる飛んでいる。彼女自身の回復のことよりか、アルディの心の回復を喜んでいるようであった。
「かっか、えー彼女をもったもんだ。羨ましいのー」
アルディはズルっと体ごと椅子からズリ落ちた。そしてすぐ様ガバっと身を乗り出した。
「だ、なんで妖精が彼女なんだよ! ふざけないでください!」
彼はよほどショッキングだったのか、拳をブルブル震わせてがなった。彼女いない暦イコール年齢の彼には少々刺激が強い一言だったらしい。
「おいおい、愛があれば恋なのだ。種族は関係なかろう!」
博愛主義者もいいところだ。家族とは思えても、恋人とは思えるわけがない。だが、この老医の迫力に彼はなんとなしげに納得してしまった。確かに彼にとってシャントは、命を賭しても護りたい存在となりつつあった。同時に、シャントはいつもアルディを気遣い、行動してくれているように思える。それは恋愛と言えるものかもしれない。
アルディがセンチな表情になるや否や、老医はサラッと言った。
「なーんてな、冗談冗談」
ぶち壊しだ。アルディは、再びズリ落ちる。
やはりこのじいさんにおちょくられただけとわかると、怒りより、あきれてしまった。なんでこういう人間だとわかっているのに、再三だまされてしまうのか...。
アルディは、さっきまで湧き上がっていた感情を振り払う。
シャントは、その一連のやりとりを見て、ビクビクしたり、複雑な表情(のような顔)をしていた。
その後老医はいきなり、妖精を飼う上での今後の注意事項を話し始めた。いきなり話し出したものだから、アルディは面食らってしばらくボーっとしたが、それが注意事項とわかると、急いでメモ帳を出してメモを取り出した。
一通り話し終えると老医は言った。
「もう大丈夫だから。僕ぁは忙しいから、もう出てってちょーだい」
こんな言葉で、今までの様々なやりとりの全てを結んだ。
(ったく、さんざ人を混乱させといて、最後はこれかい...)
アルディは、十も百も文句があったが、口には出さず、一礼した。メチャクチャなじいさんだが、シャントの命の恩人である。なにより彼にとっては、こんなメチャクチャじいさんをひどく魅力的に感じていた。またシャントの事でお世話になることもあろう。自然とその一例には心が乗っていた。
一礼したアルディは、さっさと診療室から出ようとしたが、老医に呼び止められた。老医は何か思いつめた表情をしている。最初、この老医とであった時のあの真剣な顔...。アルディは、思わず心臓が鳴った。
「おぬしの所属する教会はどこじゃ?」
この老医には似つかわしくない口調。彼はたじろいでしまったが、怪訝な顔をしつつも、短く答えた。
「グラウザー・サーヴァリー教会ですよ。僕って言っても、親が所属しているとこにそのままいるだけですが。それがなにか...?」
老医は何か納得した表情でうなづいた。
アルディは不可解でたまらなかったが、後に続く言葉がないのを知るや否や、もう一度一礼し、部屋を後にした。
老医は一人になった診療室で何度もうなづいた。
グラウザー・サーヴァリー教会。
そう、この老医が人生の師と出会った教会。どうりで青年のわりに思慮深いというわけだ。と、老医は納得した。
教会に所属する青年は、思慮深い者が全員というわけではない。しかし、自己の課題に真剣に取り組む姿勢を持っているものが、世間と比べて圧倒的に多い。その原因は、かつの教会長であり、老医の師匠である人物の「青年は大いに悩んで成長するのだ」との遺訓にも似た指針に由来するものである。
とかく、老医は、彼の前途が明らかならんことを祈らずにはいられなかった。
「頑張れよぉ...」
老医は彼に語りかけるように、独りごちた。