第六章 一瞬の永遠 - Magic Recruit

 アルディの階段を踏む音だけがこだましている。この中には音しかない。それ以外は闇に溶けてしまった。

 しかし、二人は恐怖を感じなかった。いわずもがな、傍にパートナーがいるからである。この中にあるのは、音だけではなかったのだ。

 永遠の闇は突如として終わりを告げた。塔の天井にアルディとシャントの影が二重に伸びている。アルディは、階段の最後の段を踏み、そのまま淀みない動きで最上階のドアを開け放った。

 二人は塔の外に出た。そこは城壁の一番上である。夜空を見上げると星は満点に散っていた。

 夜は深くなっていたが、塔の中に比べれば幾分も明るい。

 シャントは塔の空気から解放されたのを喜ぶように宙を舞った。

 と、彼女の眼前に思わぬ光景が飛び込んできた。

 町の対岸に広がる森、シャントの生まれ故郷は、小さく佇んでいる。遠くに見える山々...。彼女には羽があるが、こんなに高いところにきたことはなかった。というより、ビンに入る前はあの妖精の木付近より外に出たことがなかった。

 彼女は興奮して今度は反対側にヒュッと飛んでいった。反対側に広がっていたのは、マーリアルの街並みだ。家々の灯り、巨大な市長邸。街を飛び交う幻光虫...。一般でこの夜景を見ることができるのであれば、世界三大夜景と称されること間違いなしの美しい景色である。

「いい場所だろ? 街で一番高いところだから、すごい遠くまで見渡せるし」

 アルディは、城壁の"弾除け"の間から街を眺めて言った。

「去年の今頃だったかな、やったら悩んでた時に、街をブラブラしててさ、ほんで偶然この塔を見つけたってわけ」

 彼は卒業前の学院生活を思い出していた。気のいいクラスメート、ちょっと変な先生、クールで天才名アルディのライバル的存在。

 辛いことも多かったが、楽しかった学院生活。つい、何ヶ月前のことだが、いやに遠い昔のことに思えた。人は現実の課題、云わば"壁"にぶつかった時、最も時間を長く感じるものなのかもしれない。

 彼は卒業後、壁の前で右往左往するばかりであった。彼はふと、今が一番悩んでるな、と学院生活時代の自分と今の自分を比較した。

 シャントは楽しげに街側と森側を行ったり来たりしている。

 アルディは、しばらくその様子を思いつめた表情をして見ていたが、パッと決意をした顔に変わり言い放った。

「シャント、ごめん!」

 彼は彼女に向かい頭を下げた。シャントはきょとんとしてそれを見つめている。

「この一週間くらい、おまえには非道いことばかりしてしまったよ。本当に悪かったと思ってる」

 彼は真心を込めて言った。

 この一週間、彼は心の空虚感でどうしようもなくなっていた。シャントに当たり散らし、彼女をあんな状態にしてしまったことを猛烈に反省していた。

 それにしても、わざわざこんなところまで来なくてもいいものだが、大事な事を言う時はムードも重要である。改まる事によって、言葉を切り出しやすくもなるものだ。

 シャントにこの景色を見せたいというのも理由の一つ。

 シャントは首をかしげたが、返事の代わりにくるくると飛び回った。元気になったから大丈夫、とでも言っているように見える。アルディは、それを見て苦笑を浮かべた。お詫びをするには自分が元気になること、と決意し、この一件は彼自身の中でも一件落着となった。

 二人はしばらく、街側の方を眺めていた。幻光虫は、街中におり、その光は時折消えては、また離れた場所で光ったりを繰り返している。街中でその現象が見られた。

 アルディは再び思いつめた顔で切り出した。

「この一週間、色々考えてた」

 顔は真っ直ぐ街へ向いている。シャントは、静かに彼に向き、じっとその"続き"を聞いていた。

「俺は、魔法の仕事に就きたいと思って、この街に出てきたんだ。実家の街なんて、工業ばっかで文化的なものはなにもありゃしない。人まで固い人ばかりでさ。どうしてもこの街で魔法を学びたかった」

 彼の口は止まらなくなっていた。プライドが高く、秘密主義な彼は、自分の事を人に話すことはほとんどなかった。しかし、今は誰かに話したい気持ちで満ちていた。話すなら今しかないと、思いのたけを、シャントに、この満天の星空にぶつけだした。

「やっと高等学園を卒業して、魔法学院に入学して、楽しかったし、いっぱい勉強もした。何より、自分の才能を信じてた。クラスのやつら全員の中で一番実力はあったと思う。自信はあるんだ。...ミスは多かったけど」

 彼には、こういったナルシスト癖がある。口では謙遜しつつも、その心は常に自分と人とを比べていた。しかし、彼にとっての向上心の源泉はそこにある。彼は勝他の心を出しつつ、他を低く見る自分の心を見つめ、自制することによって、かろうじて彼の本質をいい方向へと向けていた。彼が普段人に本音を話さないという事実は、悪い方向に出ていると言わざるをえないのだが(勝他の念によって、相手に必要以上の情報を与えたくないからであろう)。

 そんなプライドの塊の彼だが、今日に限っては、彼の本音が赤裸々に暴露された。彼は語り続ける。

「だから、自分は夢をあきらめないでいられる、周りがどんなに上手かろうと、夢をあきらめようとも、俺だけは絶対に夢を叶えてやるって決めてた。だけど...」

 一瞬彼は口をつぐんだ。

 彼の中でいつのまにか、自分でも気づかなかった感情が芽生えてきていた。それは、日々の戦いの中で埋もれた感情だった。そして、先の二週間で気づいた心の奥の心でもあった。

「......こうして、就職活動してみると、こうも上手くいかないものなのかって思い知らされてさ。先生やみんなは、夢はそんな簡単に叶えられるものじゃない、って、だからまずは現実をクリアしろっていつも言われてた。そんなもの軽く乗り越えられるって思ってた。いや、むしろそんなのウソだとも思ってた」

 シャントは彼の話をただひたすら聞いていた。彼の心の気は、いやおうなしに彼女の小さな体に入っていく。彼女はすっかりその心に同調してしまった。

「実力がまだまだなのも思い知った。天才並みにやれなきゃ、見向きもされない業界なんだとも感じた。自分の事は正直、天才だと思ってたけど、結局自分の中だけで、魔導社が求めるような魔道師になれてないんだよ...」

 彼はここで、互いに求める物の相違を感じていることを告白した。

 彼は自らの技術はひたすら磨き続けたが、人の求めに応じてではなかった。それ以前に彼は、人の期待に沿う事が極端に苦手であった。終始、自らのやりたいことを追い求める彼は、その本質が社会との間に大きな溝を作っていることに気づき始めていたのだ。

「..............................」

 静寂がその場を支配した。まるで大宇宙の広がりをも思わせる。彼はその束の間、悠久の時を旅していた。過去へ、未来へ。"自身"というこの世で最大の謎に向かって旅をしていた。

 時間にして一瞬だったのかもしれない。しかし、二人にとってその時間は、永遠を互していた。

 彼は、その永遠の時を今に戻して言った。

「......自信が無くなったんだ。二週間前に受けたとこに、君みたいなのはいらないって言われて...。あ、ダメなんだ、と思った瞬間、今まで作ってきたものが全部壊れた気がしたんだ」

 シャントはその時のアルディの顔を思い出していた。なんの感傷もない、空虚な顔。同時に彼女自身が、その結果の一役を担っていたことを思い出した。彼女の胸はどうしようもなく痛んだ。

「なぁ、俺は......」

 彼はそう言いうと、口をつぐんで言葉を詰まらせた。その先を言うと、もう元の自分には戻れない、そんな気になっただろうか、踏み出す勇気が中々出ない。その先を言葉にすると、自分がそれを認め、その運命を確定させてしまうのではないかと感じたのだ。

 だが彼は、言葉をひねり出すように静かに口を開いた。

「魔道師には、なれないのかな?」

 声はかすかに震えていた。彼は背中と、胸から何かが昇ってくるのを感じた。その何かは、彼の目に溜まる物として現れた。

「夢を、叶えられ...らいのがな......」

 アルディはもう口を満足に動かせなくなっていた。口を動かそうとする度に、顔がこわばっていく。目に涙が溜まっていく。必死に出すまい、出すまいと気張るが、それが余計に彼の感情を表に出すのに拍車をかける。

 もう、彼は声に出して涙を流した。今まで切れそうな糸をずっと留めていた。その糸が急に切れ、勢いよく離れるように、彼の涙は止まらなくなった。

(何泣いてんだよ俺は...)

 意識の理性は冷静であった。恥ずかしいとか、泣くことじゃない、とか、意識では冷静なのに、彼の涙は止まらない。体は、目は、涙腺は、意識とは別のところに反応している。意識よりもっと奥の、"心"に。

 心とは意識の中にあるもの、それらは脳にある。そう考えるのならば、なぜ、彼の意識とは裏腹に涙は出るのであろうか。心とはなんなのか。意識よりも奥、彼自身根っこからを作る何か、そこに心があるのではないだろうか。だから、体は、意識を通り越して涙を流すのではないだろうか。

 彼の様子を、シャントはじっとじっと見つめていた。彼女は彼の心を感じ、同調した。言葉を持っていたとしても言いようのない、悲しみか、悔しさか、とかく爆発した気持ちであった。

 シャントはいたたまれなくなり、アルディの周りを激しく飛び回ったり、肩のあたりにポンポンとぶつかったりし、励まそうとした。

 その行為が、アルディはとてもありがたかった。その気持ちが、嬉しかった。その感謝の心が、彼の涙に拍車をかける。

「うヴぁあぁっ、う、く...」

 彼はついに大声をあげて泣き出した。悲しさ、嬉しさ、感謝、あらゆる感情がすぐ様涙へと変わっていく。もう既に、心の動きだけで涙は流れていた。

 彼は自分の中の絶望感が出ないよう、ずっと我慢をしていた。二週間前、それは極点に達し、いつの間にか何もできなくなっていた。人は希望が無ければ何もできぬのだ。

 絶望という淵に立った時、悲しいという感情さえも沸いてこなくなっていた。しかし、ことここにきて、彼の心は爆発した。石油のタンクに大穴が空いたように、その重苦しい心を流した。

 多少落ち着いた彼はシャントに、おぼつかない口で言った。

「......シャント、ありがとう、ごめんよぉ...」

 そう言って彼は、体をひきつらせた。もう彼自身が自分で何を言っているのかもわからない。

 シャントはアルディのの前をひたすらくるくる回り続けた。アルディは涙で歪む視界の中で、それを見た。と不思議と涙は引いていった。やっともっていたハンカチで涙を拭き、そのまま鼻水を垂れ流し寸前の鼻をかんだ。

 しかし、まだまだ涙はにじんでくる。油断をすればまた大声で泣いてしまいそうであった。

 シャントは心配になり、再三アルディの肩を叩いた。

「...ありがとう、ありがとう、シャント。もう大丈夫だよ」

 彼は心の底からシャントに感謝した。おそらく彼女がいなければ、彼は折れたままであっただろう。この二週間もずっと一緒にいてくれたことしかし、今この時しかり、自分の事を理解してくれる者がいたからこそ、心を解放することができた。彼の命の灯は絶えてはいなかったのだ。

 二人はしばらく無言でいた。アルディの鼻をすする音だけがあたりに響いている。

 と、しばらくして、彼は堰を切ったように口を開いた。

「俺のおじいちゃんが言ってた。夢は必ず叶うんだ、って。でもそれにはすごい努力が必要なんだ、って......」

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