第六章 一瞬の永遠 - Magic Recruit

 そこは、意外にもアルディのアパートから近かった。一駅舎分の距離で、住宅の並びの一角にあった。

 アルディは、名刺の住所を睨んでは周りの確認をする、それを何回か繰り返した。

「ここ......、だよな絶対」

 アルディの確信の裏には、建物の外装にあった。紫色の壁に金色の派手な文字で"精が出る妖庵院"と書いてある。まさに、名刺をそのまま建てたような、そんな建物だ。

(キャバクラでも、こんな気持ち悪い色合い使わないぞ...)

 彼は、中に入るのをためらった。否、誰が来ても立ちすくんでしまうだろう。近所の住人もさぞかし迷惑しているに違いない。

 彼はふと、シャントが入ったビンを見た。スライムのような身体が膨縮を繰り返している。心なしか、さっきよりその感覚が短くなっている。

 アルディは、一瞬不安にかられたが、すぐに首をふり、意を決したのか、"精が出る妖庵院"の中に足を踏み入れていった。

 建物の中は外装と打って変わって、質素な内装となっていた。一瞬入る建物を間違えたかと思ってしまうほどだ。

 ナース姿の受付嬢に状況を説明すると、奥へ案内され、入り口にカーテンのかかった診療室へと一緒に入った。

 アルディは、速攻で診療室に入れたのが解さなかったが、彼自身がこの建物に入るのをためらったのがそのまま答えであろう。

 診療室に入ると、白い壁が目に飛び込んできた。こざっぱりした室内。部屋の奥に机が一つ。その上には書類やら本やらがどっさり積まれていた。

 彼は軽い違和感を覚えた。その原因はすぐに氷解した。診療室と言えば、白いシーツのベッドがあるものだが、それがないのだ。それもそのはず、ここは妖精の専門院であるからだ。

 ナースは、入り口に取り付けてあるベルを鳴らし、アルディに声をかけた。

「今、先生がいらっしゃいますので、少々お待ちください」

 言い終わるとナースは、足早に診療室から出て行った。

 アルディは、これは、ずいぶんと待たされるパターンだと思い身構えたが、その先生は、ものの二、三分で机の手前隣の入り口から入ってきた。

 白衣を着た男性は、おそらく六十代後半であろう。顔はシワが深く、白髭をたっぷりたくわえている。頭は、髭と比べるとずいぶんと寂しい。いかにも老練のお医者さんといった風貌だ。といっても、医者というイメージではなく、随分とみすぼらしい印象。

 しかしその眼は、鋭く、そして怪しく光っていた。アルディは、その眼を見ると、ふと亡くなったおじいさんを思い出した。普段はおちゃらけて冗談ばかり話す人だったが、ことに、錬金術と、国の行く末のことを語っている時は、真剣そのものであった。その時決まって、目の前の老医のような眼をしていたのだ。

 アルディは思わず身をすくませてしまった。

「かっかっかっか、よくこの病院に入れたもんだ! 大した小僧だ!」

 老医はいきなり笑いだし、第一声を放った。さきほどの眼の鋭さは、何処かへと消えてしまっていた。

 アルディは、あまりにもの豹変ぶりに、腰を抜かすところであった。

「最近は妖精研究家どもも、ここに入るのに懲りて、こなくなってよ。しかし、この外装じゃ、普通の客も入ってこんで、困っとった。そろそろ改装しようかなぁ」

 老医は、突然語り出した。なるほど、入れたくない人間がいるからあんな外装にしたのか、とアルディは話を要約して理解した。しかし、そんなのもの入り口で追っ払えばいいのに。なんでまた人避けのために外装まで変えたのか。

 彼は、この老医をネジが飛んだじいさんと認識した。

「さぁて、何しに来たんだね、少年」

 少年扱いされたのは癪に障ったが、すぐ様本題に入ったのをチャンスとばかりに、彼はシャントが入ったビンを見せ、状況を説明しようとした。

「おぉお!! なんということだ!!」

 アルディが口を開こうとすると、老医は絶叫した。もう、ここに来て、何度アルディの心臓は止まったことか。

「おまえさん、何をしたんだ! こんなになるまでほっといて!」

「え、その...う...」

 アルディはすっかり頭が真っ白になって、言葉は言葉にならなくなってしまった。

「まったく、最近の若者はこれだからな...。妖精を他のペットと同じに見おってからに」

 アルディはなぜか、その言葉にカチンときて、とっさに言葉を返した。

「違う、僕はそんなつもりでシャントと一緒にいるんじゃない!!」

 急にその場に静寂が訪れた。老医は目を白黒させて彼をじぃーっと見ている。

 アルディは見つめられているとことやら、とっさに自身が叫んだ内容などが頭の中をグルグル回り、とてもその場に居づらくなった。

 と、老医はニカッと笑い、言った。

「カッカッカッカ! わかっとるよ、こんな怪しいところまで来たのが何よりの証拠だ。ほれ、とりあえずそこに座りなさい」

 アルディはわけがわからなくなっていたが、とにかく話を進めたい、との思いで納得いかない気持ち悪さを我慢し、しばし老医に素直に従うことにした。

 彼が椅子に座ると、老医は半ばひったくり気味にシャントが入ったビンをアルディから奪い取った。

 老医は、ビンを取ると、しげしげと眺め、あらゆる角度から観察した。ビンの角度が変わるたびに、シャントはヌメッと移動している。もちろん、シャントの意識に反して。

 五分ほどそうしていたが、アルディはさすがにイライラしてきた。早くしてくださいと、言いかけたが、またも彼の言葉は遮られた。

「なーんじゃ、どっかで見たことあると思ったら、あの悪徳魔導社ドルディアのやつじゃないか」

 アルディは、確かそうだっけ、と一ヶ月前のことを思い出していた。シャントと出会った魔道具屋での出来事を。

 老医はコルクの蓋を抜いた。キュポンと小気味良い音が鳴る。すると老医は満足げな顔をして聞いた。

「ほーーー、おまえさん、魔道師か?」

 アルディは、老医が全てわかったんだと直覚した。なんだかんだ言っても、妖精と魔術というものは、密接に関係しているのである。老医は妖精の専門医なだけに、魔導の知識もあるのだろう。

「はい、まだ就職はしてませんが...」

 アルディは、短く答えると思わずうつむいてしまった。自分がプー太郎であること、この二週間何もしていないこと、そうこうしているうちにシャントがこうなってしまったこと、全てが嘆かしいことに思えて、やるせない気持ちに満たされてしまった。

 そんなアルディをお構いなしに老医はまたしげしげとビンを眺めだした。

 そうやって三分を過ぎる頃。

「ちょっと、それだけですか!?」

 彼はまた同じパターンにはまると重い、自ら切り出した。と同時にこのじいさんは通常の感覚は通用しないことを悟った。

「え、なにが?」

「なにが? じゃないですよ! シャントはどうなんですか?」

 トボけたじいさんに間髪入れずに突っ込みを入れた。もう、なんでもいいから、一刻も早くシャントを助けてやりたい。というより、シャントが瀕死なのか、そうでないのか、それだけでも知りたかったのだ。アルディから見れば、瀕死にしか見えない状態だからだ。

「あーあぁあ、これはなぁ、"食あたり"だよ」

「は?」

「だから、"食あたり"だよ。点滴打てばすぐ治るよ」

 (これが"食あたり"!?)そんな疑問がアルディの頭を駆け巡った。どうみても尋常じゃない状態だからだ。なにせ、体がスライム状になっているのである。死ぬ間際か、すでに手遅れかもしれないとアルディは思い、この病院へすっ飛んできたのだ。

「ほ、ほんとですか?」

 彼は思わず質問を繰り返してしまった。

「何度言ったらわかるんだね、食あたりだよ。私はよくやるんだけどなぁ」

(そりゃ、俺だってやる時あるよ...)

 それにしても、妖精は食あたりになるとこうなるのか...、と彼は改めて、ドロドロの体になったシャントを見た。しかし、不可解だ。老医は巨大なガラスの円筒になにやら緑色の液体を注いだと思うと、シャントをその液体の中にてるんと入れた(というより、注いだといおうか)。

 アルディは、何の説明もなしに突然やられたため、思わず掴みかかるところだったが老医に手で制止された。

「落ち着けってんじゃ、これが"点滴"だよ」

(落ち着いてられるか!)

 心の中でそう叫んだが、今は、老医に従うより他ない。ひとまず信じるしかなかった。

 しかし、不安なのは変わらない。特に、液体状になってしまったシャントの体が、緑色の液体に混ざってしまわないか...という最悪の事態が脳裏をよぎった。

 だが、彼の心配とは裏腹に、シャントの体は薬の中で、くるんと丸くなった。

 ほどなくして、丸い体の中から、ポコポコと手のようなものが生えてきたと思うと、見る見るうちにその球体は妖精の形を成していった。まるで、受精卵が時間をかけて赤ん坊になっていく様子を早送りで再生したような光景である。

 アルディは開いた口が塞がらず、しばらくその様子に見とれてしまった。

「こんな体になっては、注射は刺せんからなぁ」

 彼はそれを聞いて納得した。このじいさんは、行動こそ突飛だが、言うことは道理に適っているようだ。確かな知恵と技術、そして、変態じみた感性。それが入り混じった、なんとも不思議な人だ。

 アルディはこの際だから、妖精に関して色々聞こうと思い、一番疑問に思ったことを老医に聞いた。

「妖精って、なんも食べてないのに、食あたりになんてなるんですか?」

 老医は思いっきり、苦虫を噛み潰したような顔をした。アルディは、あまりにもの顔の変貌に、三度目のけぞりをした。

「こんの、まだ信じてないのか、この不信心者!」

 なにがだ、別にあんたを崇めてるわけじゃないぞ、だなんてツッコミが出そうになったが、このじいさんには、ツッコミも不毛になるのは見え見えである。彼は、三度目の我慢をした。

「妖精はの、"気"を食べて生きている。この世にある、エネルギーというか、なんていうかな...」

 アルディは思わず食いついた。

「気、エネルギー? 魔力のこと?」

「魔力っちゅうか、うーん、いや、根本的には一緒だ。"気"の現れ方の一つが魔力でな」

「じゃ、じゃぁ、"気"ってなんなの?」

 アルディの間髪入れない質問が飛び交う。

 彼はこの手の理論的な話は無性に好きだった。

 魔法使いの中でも、この手の話に乗ってくれる人はごくわずかだ。彼は、こういった、話題は皆めんどくさがって話したがらないことを知ると、話題の中で出さないようになっていった。本音を言うと、こういった話を一日中でも語り合っていたい、というのが彼の性分であった。

「うーん、そうだなー、世の中の人はみんな、精霊とか言ってるが、それの事を指すのかな」

「え、神様食べてんの!?」

 東洋の人々にとっては、アルディの反応の意味は分らないであろう。東洋では、"霊"といえば、人の霊魂を指すことがほとんどであるが、マーリアルのある大陸では、少し違った解釈がなされる。精霊、神、人の魂、悪魔、そういった、あるかもわからないが、ないとも否定できない、不可思議な魂的な存在を"霊"という言葉でひとくくりにする。ゆえに、この大陸の人間であれば、精霊と聞くと真っ先に"神"が連想されるわけだ。彼の反応の訳はこういったところにある。

「い、いやいや、神じゃない。違う。そうだなぁー、生命...、そうだ、生命だ! 生命を直接食べて生きてるのさ、妖精は」

「??」

 生命? 生命を直接食べる? アルディの頭はすっかり混乱してしまった。彼は学校で、食べるものは、神から与えられたものであり、その神から頂いた命で我々は生きているのだと習った。

 アルディは、その一歩進み、そこに霊なるものが伝わる"伝承性"を見て、思慮し独自の理論を展開したことがあるが、ならば、精霊なり、神なりを生命と言って何が違うのか。

「だから、この大陸のもんは...。だいたい、わしは神といった固定の意思みたいな魂があるなんて信じてないんだ」

 まったく奇特な魔道師(というより、妖精の専門医師だが)もいたもんだ、とアルディは思った。おおよそ、魔術というものは、精霊の実在があってこそ成り立っている。なるほど、例えば儀式で"アポロン"を召喚しても、そこに"アポロン"がいるなどと言う事は確証できない。しかし、存在するかわからずとも、実在を前提に魔術が行われ、結果が出ているのは、いかがなものか。神や悪魔といった、霊なるものが実在する証拠ではないか...。

「うーん、、魂が"ある"というのかな。あると言えば形も色もなし、ないといえば、なぜわしらが生きて、心が躍ったり沈んだりする説明がつかないだろうよ」

 老医は、半ばイライラ気味というか、わかってもらえないもどかしさというか、複雑な面持ちになっていた。

「だ、だから、それが霊で、どこかにいらっしゃる神様のことじゃないの?」

 だんだんと、アルディ自身も不安になってきた。皆と共有し、少なくともこの国では常識であるこの考えが通じない人がいるなんて...。否、老医には通じているようであった。が、老医は、それを分った上でさらに違う発展した哲学を持っているような、そんな気がアルディはしていた。

「その、どこかにいるってのがな...。いや、いいや、まぁー、しいて言えば、神サマのウンコを食べて生きているわけだよ、妖精は。君達の言い分どおり言うならばね」

「はぁーーー?」

 今度は下品な言葉で表現されてしまった。ここでもし、この言葉を聞いた者が、神の存在を信じ、崇めている者であれば、猛烈に激怒していたことだろう。幸いにして、アルディは、神を信じつつも、崇拝しているというほどではなかった。というより、家族自体が、国教ではなく、東洋の信仰をしているから、その影響かもしれない。そして、その事からも彼の両親は、神の存在ありきの魔法使いの仕事を反対したのやもしれない。

「とにかく、その"気"っつうのは、命そのものの事でな。それっていうのは、ないように見えても、実はある。この世を作っているそれと言ってよい。この世に充満している、それだ」

 老医は構わず続けた。

「???」

 アルディはますますわからなくなっていた。ただ同じ事を繰り返し言っているようにしか聞こえない。

「な、なに、空気中に充満してるってこと?」

 老医は再三しかめっ面をした。

「だから違うっての! "ある"とは違うんだ!」

 アルディは不安からイライラに変わってきた。いつまでこんな問答を続けるのか、と、結論を出させるため、彼もまた"再三"黙り込んで、この狂人の話を聞くしかなかった。

「もー、ええわい。とにかく、その"気"というのは、人の心に非常に敏感なんだ。その人の心がうきうきしていれば、その周りの"気"は明るくなり、"どよんで"いれば、気も暗ーい、陰鬱な気となる」

 アルディはギクッとなった。この先の老医の言葉が容易に想像できたからだ。

「つまり、こいつも、陰鬱な気を食べて"当たった"ってーわけだ。つまりおまえさんのせいだってーこった」

 ズバリ言われたアルディは、縮こまってしまった。この二週間の自分自身を鑑みるに、どうにもひどい心の状態だったのは明々白々であった。たとえ一緒にいるのが妖精でなくても、具合悪くさせたであろう。やはり老医の言葉には説得力があった。彼は、自分のせいでシャントはこうなってしまった、と自責の念にかられた。

「どーせ、なかなか仕事が決まらんから、ウジウジしてたんだろーに」

 これまた図星である。アルディは、そんな簡単な心境じゃない! と言い訳をしたかったが、老医のサラッとした言い方が妙にしっくりきて、腹が立ち、まるでとんちんかんな事を言ってしまった。

「だ、なんでわかったんだ!? じゃなくて...」

 もう彼は、恥ずかしさやら、なんうやらで半分くらい冷静さを失っていた。

「まぁ、そう気を落としなさんな。よくあるよくある」

「んが、なんであんたにそこまで言われなきゃなんねーんだよ!」

 彼はもう、頭に血が昇ってしまった。怒りというより、恥ずかしさで顔は真っ赤に染まっていた。

「ほっほ、まぁー落ち着け。わしも若い頃同じでな」

 アルディは、老医の意外な言葉に我に返った。

「今ほどじゃないが、私が新卒の時もまー、就職難だったのだよ」

 老医は似つかわしくもない真面目な顔で、過去を語り始めた。

「そのころから魔術が職業の一つとなり始めたころだった。私も、どうしてもなりたくてな」

 アルディは怒りを忘れ、耳を傾けた。自分と重なる部分があるからか、それとも、この老医の話から、ヒントを得ようとしたからか。

「もー、ウジウジしててなー、向いてないんだろうか、とか考えたが、気にすんのめんどーだなーっと思い始めた時決まった」

 そこで老医の言葉は途切れた。永い沈黙が場を支配する。

「は? それだけ?」

 沈黙に耐えかね、アルディは不毛にも口を開いてしまった。

「そうだなー、だからおまえさんも、ゴチャゴチャ考えとらんと腹をくくればええんだよ」

 老医の真面目ムードは、電光石火で通り過ぎた。このじいさんの切り換えに着いていける人間は、おそらくこの世にいないだろう。

 アルディは、面食らいっぱなしであったが、ゴチャゴチャ考えてもしかたないという点にはぐうの音もでなかった。なにせ、色々考え込んでしまった結果、この二週間の事が起こり、シャントを病気にしてしまったのだから。

 彼は、またしゅんと小さくなってしまった。そんな彼を見て老医はがなる。

「ほれ、またそーやって考える! しゃんとなさい。過ぎ去ったことはどうしようもない。次の一生へと進むのだ。若者であろう!?」

 今度は軍人のような物言いだ。しかし、アルディの心に希望の火が灯った。この二週間閉じていたアルディの耳は、この老医にこじ開けられていた。彼にとって、老医の言葉はなによりの光に見えた。

「ありがとうございます」

 無理矢理なのに、どことなく、理屈が通っており、なにより、底なしの明るさがこの老医にはあった。否、多少の無理矢理さを、明るさがカバーしているのかもしれない。

 とかく、くよくよしていてもしかたないということだけは、彼の中で固まった。

「さぁて、点滴はしばらく時間がかかるからさ、夕方くらいにまたおいでな」

 アルディは一瞬、老医のしばしの別れを惜しむ気持ちと、小うるささから解放される安心感と、相反する感情が同時に沸いた。

 まったく、不思議な人間もいたもんだ。こんないろんな印象が同時に備わっている人は他にいないだろう。

 彼は、シャントを一瞥した。体の形はほぼ元通りになっている。シャントは目をつむって寝ているようだ。ドロドロになってしまった体をかろうじて維持するのに相当体力を使ったのだろう。

(ごめんな、シャント)

 心の中で謝罪をし、迎えに来た時改めてちゃんと謝ろうと、決意し、彼は立ち上がった。

 老医に一礼し、彼は部屋を後にした。老医は、アルディが見えなくなるまで、ヒラヒラと手を揺らしていた。

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