第四章 母 - Magic Recruit
階段を昇る音とともに、下階からアルディの姿が現れた。部屋のドアの前で、指をくるくる回すと、ドアは独りでに開いた。(ドアが独りでに開いたのは、アルディが、ドアが持つ"開く"という性質を発動させる、簡単なまじない魔法を使ったからである)中へ入ろうとすると、
ポコっ
彼の顔に何かがぶつかった。彼は驚きはしたが、あまり身動きはしなかった。ぶつかったそれの正体がすぐにわかったからだ。
そのぶつかったもの、シャントはアルディの前をクルクルと回っている。
「ん、なした? シャント......あ、あぁ!」
彼は何かを思い出したように、
「ただいま」
と一言言った。その言葉に満足したか、シャントはヒューっと、部屋の中へと戻っていった。
アルディは、独り暮らしがしばらく続いているので、今は挨拶を言うべき家族がいることをすっかり忘れていた。彼はニコニコしながら、部屋の中に入ろうとした。
「おかえりなさい」
と確かに、人の声がした。
(誰だ?)彼の思考が一瞬止まる。(シャントか? いや、妖精は人語は喋れない)思考が復活し、そんな事が頭に浮かんでくる中、部屋の中を見回した。部屋の中に人がいる...。その人物を見るや否や、彼の表情はみるみる変わっていき...。
「どえ、お母さん!?」
あまりのもの驚きで彼は思いっきり飛び退いた。
「なんだよ~、せっかく来てやったのに、バケモノでも見るみたいにして」
お母さんは、思いっきりふくれっ面をした。中々絵になってかわいらしい。
そう、携帯魔導話から出てきた映像がそのまま飛び出してきた、そんな感じ。魔導通信で話をした、"お母さん"その人である。
「なんで来てんだよ、交通費ないんじゃなかったのかよ」
アルディは不満タラタラである。
「それがさぁ、福引で十万円の商品券当たっちゃってねー、マーリアルのデボイデパートの! もー、奮発して来ちゃったのさ。あんたん家はそのついで。にしても部屋汚いから掃除しといたわぁ。まったく、いつの間にか女の子まで部屋に入れて。そんなんだから、人間の方には好かれないんだよ」
「..............................」
お母さんはそこまで一気に言い終わると、手に持った雑巾を、バケツの上で絞り、またパタパタと掃除を始めた。アルディはありがたいやら、憎たらしいやらで複雑な気持ちである。(シャントってメスだったのか)なんて気をそらして考えていると、突然お母さんが彼に質問した。
「そういや、今日行ったところはどうだったのさ?」
「ギクッ!」
彼は思わず、擬音をわざわざ口から漏らしてしまった。体は擬音の通りの反応をした。
「...だ、ダメだった。はははははは...」
彼は不細工な笑顔を作り、ポツリと、数日前の台詞と一字一句違わない言葉を漏らした。お母さんは、しかめっ面で、じーっとアルディを見ている。それを聞いたシャントは、一瞬、ピクッと動き、うなだれたかのように見えた。
「はぁ~~~......、なんでだい?」
この世で一番深いため息か。もうあきれてのため息か、否、とうにあきれきっているのだが。
「ちょ、だってしかたないだろ! 昨日遅くまで勉強しててさ、眠くて眠くて......!」
「? 何、試験中に寝てたの? アルちゃん、うーん、そんなこと聞いてるんじゃないの、なんで決まらないの?」
「え......え......いや、その...」
アルディは困惑してしまった。お母さんは時々こういった質問をする。試験で落ちたその理由なんてものは、試験管の判断である。枝葉のことといおうか。このお母さんの質問は、もっと根本的なこと。なぜ就職が決まらないのか、という質問であった。質問とすればいじわるであるが、とかく、アルディ自身に、決まらない原因を知ってほしい、わからなくとも、考えてほしい、との思いであろうか。
「まぁ、いいわ。夕食にしましょ。さぁ、もう家に帰りたくなるくらいのもの作ったげるからね!」
「......」
お母さんは、掃除道具を隅に避けたと思うと、鼻息荒く台所へ向かった。
アルディは結論が出ないまま終わったことに、少々わだかまりがあるものの、これ以上詰問が続かなかったことに安堵した。
お母さんといるといつもめまぐるしい。急に自分という小さな宇宙がグルグルと回転しだす、そんな感覚に襲われる。母とは往々にしてそういうものなのかもしれない。たとえ母に、知識が少なかろうとも、社会経験が、男より少なかろうとも、この世の全ての人よりも、母は聡明なのだ。
不思議と振り回されているような感覚はない。いくつになっても、おんぶされているような、安心感。しかし、アルディにはなんとなくでしかその感覚が無かった。それよりも、ついさっきまでの会話と自分の答えがなんなのか、という事だけがグルグルと頭を巡っていた。
シャントは、心配そうにヒューっとアルディの傍に行き、じっとその後ろ姿を見ていた。