第三章 賢者の石 - Magic Recruit
朝のマーリアルは慌しい。職場へ向かう者、家でまじないの儀式をする者、あるいは昼まで寝ている者。朝とは、一日の始まり、全ての命が動き出す時。まるで未だ解けぬ宇宙の始まりを想わせる。
そんなマーリアルの住宅街の一角に、一つのボロいアパートがあった。六階建てのアパートの、五階の窓から、けたたましいビープ音が鳴り響いている。一階の方まで響いているほどだ。
部屋の中には木のベッドが一つ。箪笥が一つ。一見整理されているように見えるが、物が少ないだけで、部屋の隅にはフラスコやら杖やらが転がっている。机の上は...目も当てられないくらいの散らかりようだ。魔道具らしきものが、ゴチャゴチャと並んで(?)いる。
その机の散らかりの脇に、一つのビンが置いてあった。そのビンの中には妖精が一匹。アルディがビンから解放した妖精だ。自由の身になれたのだが、長年閉じ込められていたせいか、ビンの中が一番落ち着くようで、妖精の寝床になっているのだった。
妖精はビクッと目を開いた。ビープ音に起こされたか。
妖精はビンから出て、ベッドの上でくるくると飛びかい、時折ベッドに寝ている人物にぶつかっていた。
「うぅ~~ん、あと十分...」
そんなベタな台詞を吐き、その人物が再び夢の中へ逝こうとした時...、耳のそばで強烈なビープ音が鳴り響いた。
「おわっ!」
その音に、その人物ことアルディは飛び起きた。妖精が、ビープ音を発している球体を、アルディの耳のそばまで持ってきたのだ。
「うおい! 何てことするんだシャント! 耳もげたらどうすんだよ!」
アルディが、わめきながら"シャント"と呼んだ妖精を睨む。シャントは睨み返しながら球体をグイっとアルディに向けた。
「ん?」
彼はじっと球体の表面に浮かびあがる数字を見た。と、次第に彼の表情がゆがんでいき...。
「や、やばい!!! 遅刻するっ!!!」
アルディはバタンとベッドから飛び出し、目にも止まらぬスピードで寝巻きを脱ぎ、箪笥からローブを引きちぎるかのように取り出し、バサッと羽織った。
「今日は、えぇ~っと、錬金術だ、金の練成試験だ!!」
と言うなり、漏斗やフラスコ、虹色の粉の入ったビンなどをカバンに詰めた。
錬金術とは、云わば魔法化学である。金を生成することに端を発するが、現在では魔法であり化学であるというのが一般の認識である。近年では、化学のみで発展する傾向にあるが、魔法学が先に発展した今の時代では、魔学と化学を合わせた、錬金術が巷の流行であった。言わずもがなこの街では特に錬金術の発展が著しい。物を作る上でも、まじないのかかった物を作るには、錬金術が入用な場合が多く、かなり需要が高い。ゆえに魔法の働き口としては、近年では一番ホットなものだ。
彼は、バタバタしながらも準備が整ったようで、部屋のドアの前に立った。
「よし、じゃあ、行ってくるから!」
シャントに向かって一言。しかし、シャントは首をかしげて近寄ってきた。一緒に行きたいとでもいうのだろうか。アルディはシャントの気持ちを察し、できるだけ穏やかに、妖精にもわかるように、身振り手振りをつけて言った。
「う~ん、基本的に、就職試験には妖精は立ち入り禁止なんだ。いたずらされたり、妖精の力で不正をする受験者が出たら困るからさ」
シャントは理解したようで、一瞬うなだれたが、すぐに顔をあげた。アルディは、ここ何日かシャントと一緒にいたが、その数日間で、妖精というものは知能がかなり高く、簡単な意志疎通なら十分可能であることを知った。いな、知能というよりは、雰囲気や、オーラといった、"目に見えない感じるもの"に敏感といったところか。それとも、シャントが特別な妖精で、人間との意思疎通が他の者より可能であるとか...。
とかく、この妖精とは、人語と身振り手振りでもある程度意志が通じるというだけで、彼はシャントといるのが楽しくなっていた。
彼は苦笑いをして言った。
「ごめんよ、帰りに妖精のアメ玉買ってきてやるから、それでカンベンな。じゃぁ、留守番よろしく~」
そう言うと、彼は慌ててドアを開けた。階段を降りる音がだんだん小さくなっていく。
シャントは、しばらく部屋の中をくるくる飛んでいたが、ふと机の上の液体の入った小瓶が目に止まった。シャントは昨日あった出来事を思い出した。
アルディはなにやら、部屋の隅にある、大鍋の前でブツブツ言いながら中の液体をのような物を"ヘラ"で混ぜていた。液体は次々に色が変わっていく。まるで鍋の中にオーロラの空が広がっているようであった。と、急に傍にいたシャントに語りかけた。
「シャントいいか、見てろよ、こいつはエリクサー。別名賢者の石。何百年も研究されてきたものだけど、つい最近、製造法が確立されたのさ」
シャントは興味津々の様子である。
「こいつがあれば、宇宙の始まりのエネルギーを、爆発を起こさないで使うことができる。物質の"核"をある程度コントロールできるんだ。魔力は相当使うんだけどね」
アルディはおたまのようなもので"賢者の石"をすくって、顔に近づけて見た。熱い鍋で調合していたのに、なぜか湯気はでていない。
「うし、完成だ! 明日は錬金術の試験だからな、こいつがないと話にならないのさ」
彼はシャントに話しかけるように言うと、おたまで次々と賢者の石を小瓶に移していった。
シャントは飛び上がった。主人が肝心なものを忘れてでかけてしまったのだ。
シャントは、ヒューっと窓の外を眺め、下を見た。主人の姿はない。もうアパートから出たのか、まだ階段を降りている途中なのか。
(まだ間に合う)
シャントは妖精なりに、なんとか主人が忘れ物に気づく方法を考えた。と、何か思い立ったか、空をじっと見出した。穏やかな天気だ。快晴である。だが、シャントが空を見出したと同時に、急に雲の動きが速くなった。