第三章 賢者の石 - Magic Recruit

 わりと大きめな四角い部屋、否ホールか。調理台のような机が六つ、釜戸が四つ。調理室をを思わせるその部屋に、五人の人間がいた。全員エプロンをつけている。中年の男二人が、何やら、三人の青年に説明をしている。その三人の青年の中にアルディはいた。

「とまぁ、台の上にある材料から、適切なものを選んで、錬金術によって"金"を錬成していただくわけですが、賢者の石は皆お持ちですかな?」

 そう聞かれると、三人は各々カバンからそれぞれの形で賢者の石を取り出した。ビンの中に入れている者もいれば、カプセルのような物に入れている者もいる。アルディは心底ホッとした。賢者の石を忘れていれば、否、雨が降っていなければこの時点でアウトだったのだ。彼は今日の幸運に感謝した。

 その他注意事項などの説明があった後、中年の一人は言い放った。

「では、始め!」

 試験はスタートした。三人はサッと各々の台に駆け寄り、材料を漁りだした。制限時間は二時間。審査基準などの説明はなかったのだが、おそらく制作スピードも見られるだろう。しかし、アルディはあせらなかった。本で何度も勉強し、必要な材料、手順を頭に叩き込んでいたからだ。彼は淀みない手つきで材料を取っていく。

 材料が揃ったか、すぐさま術の準備にかかる。

 アルディは、三人の青年の中で一番乗りで術式に入った。

 釜を炊く台には、いくつかの着火点がる。彼は、その内の七つに火を点けた。火は線状に広がり、"着火点"同志が火の線でつながっていく。ほどなくして、火の線は"七芒星"を描いた。この釜炊きは、着火点によってそれぞれの芒星を象るような仕組みになっているのだ。台そのものが、いわば魔法円の役割を成すのだ。

 七芒星はこの宇宙の理、また全ての真の姿を表す。物質の核自体を変えねばならぬ今回の術には、これしかない。

 次に釜に水を入れ、ドンと重そうに台の上に置くと、材料の一部を入れ、しばらく混ぜたあと、次の材料を入れ、混ぜ...、を繰り返した。最後の材料を入れ終わるとともに合わせて、エリクサーが注がれた。釜の中は虹色に染まり、次々と色が変わっていく。

 彼は真剣な面持ちで釜の中を見つめながら、大きなヘラでかき混ぜだした。一見、ただかき混ぜているだけのようだが、その実、ヘラを通して、魔力を注いでいる。一瞬の油断も許されない。

 混ざりきれば、後はしばらく火にかけるだけである。アルディは一息ついて、イスに座った。彼は、他の受験者を見た。一人はまだかき混ぜている。もう一人はしきりに、本と釜を交互に睨んでいる。(ふ、俺が一番乗りだな)などと、鼻を高くして待っていた。試験管の中年男性はそろそろと三人の様子を伺っている。

 アルディは、合格すればいいなぁなどとぼんやり考えているうちに、まぶたが重くなっていった。彼の意識は、急速に、そして確実に遠のいていった。

 ボコボコボコ!

 液体の激しい沸騰音で目を開けるアルディ。一瞬思考が停止し、何が起こったかわからない。しかし、試験管の刺すような視線でアルディは悟った。

(ね、寝てたーーーーー!!?)

 彼は飛び跳ね、急いで釜の火を止めた。意識が飛ぶ前の正確な時間は覚えていないが、釜の中の液体が沸騰し始めてから十分は経っているのではないかと思われた。火が止まると、液体はジュワーっと蒸発し、釜の中には小さく黒い、ベースボールくらいの大きさの塊が転がっている。釜が元々黒いためか、見分けがつきにくい。

 彼はおそるおそる、火鉢でそのボールをつかみ、調理台の上に慎重に置いた。彼はサッと、傍らにあったハンマーを手に取り、一瞬固まった。

 試験管はシラっとした顔でアルディを睨んでいた。他の受験者二人は、自分の釜に集中しながらも、ちらちらとこっちの様子を伺っている。

 術式が成功していれば、このボールの中には金が入っている。アルディの胸には、空白の何十分か十数分かに対する恨めしさが募った。しかし、結果を見るしかない。もしかしたら、液体が沸騰し始めたばかりかもしれない。

 葛藤の余地はない。アルディはわずかな逡巡の後、思いっきりハンマーを打ち下ろした。

 ボゴッ

 鈍い音と共に黒いボールは砕け崩れた。中には金の塊が..............................ない。

 アルディの全身から、血の気がサァーっと引いていった。試験管の冷たい視線が痛い。受験者達もこちらを見ている。優越感と哀れみが混ざった複雑な表情。

「はははは......」

 アルディは精一杯笑ってみせたが、その顔はとても絵にはなっていなかった。

 アルディはとぼとぼと街を歩いていた。背中を思いっきり丸めて、いかにも"私は不幸です"なんてオーラを振りまいている。先ほどの事を思い返すと、さすがに泣きそうになりそうだ。

 ―黒いボールを割った後は速攻だった。

「あぁー、君、出て行っていいよ。お疲れ様」

 なんてあっけらかんと試験管は言い、他の受験者のところへ廻った。

 アルディはしばらくボーっとしていたが、頭の中で状況の整理がつくと、「帰るか」なんて一言しか頭に浮かばない。

 彼は荷物をまとめ、部屋を後にした。出際中を覗くと、受験者の一人が、出来あがった金を、試験管に見せているのが見えた。アルディは様々思うところがあったが、その場を去っていった。

 去り際、彼らのヒソヒソ話が聞こえたような気がした。

「試験中寝るやつなんて初めて見たよ。だめだありゃ」

 思わず彼は涙を流してしまった。術式は完璧だった。だのに、たった一時中断したがために、全ては水の泡になったのだ。少しだけ、ほんの少しだけ火をかける時間が長かった、ただそれだけなのに。

 そもそもなんで寝てしまったのかというと、前日に遅くまで勉強をしていたからだ。おかげで、本を見なくても術式をスラスラと進めることができた。しかし、結果として仇となってしまった。

 世の中は往々にしてこういうことの連続なのかもしれない。勝負とは厳しい現実なのだ。いくら努力しても、最後の最後で油断し、結果残念でした、では勝てたことにはならない。

 しかし、その失敗が"負け"ではない、そんな楽観主義が、彼の卓越した部分であろう。二度は同じ失敗をしてなるもんか。経験すれば、人はその失敗の可能性を考慮できるようになる。彼はそういう方向に気持ちを切り換えた。

「まだ...、まだぁ!」

 彼は涙を拭い、丸めた背中を真っ直ぐに、胸を張った。彼の小柄な体のどこに、こんなパワーがあるというのだろうか。

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