第二章 心 - Magic Recruit

 入り組んだ森は、人の方向感覚を狂わせる。どこにいても同じ景色...、なんて思った時はすでに遅い。森の精の罠にかかって森から出られなくなっている。なにせ地元民でも迷ってしまうことがあるほどである。魔術士ならば、その術で迷うことはないだろう。魔法を使える者のみが、森の精の罠にかからずにいられるのだ。マーリアルの街へ行くには、この森を抜けるしかない。そのため、外来者には必ず街の魔術士がガイドする。

 アルディも、学校の実習でガイドをしたことがあるが、魔法が上手くいかず、外来者と一緒になって三日三晩さまよい歩いたことがある。やっとの思いで街へ帰ったら、当然おしかりが待っていた。あの時ほど恥ずかしく、なにより悔しかったことはない。それも今では、必至に魔法の鍛錬をした彼にとって、この森も庭みたいなものになっていた。何より、就活で消費する魔法の材料集めに、足しげく通っていたからである。

 彼はそんな手馴れた足取りで、あるところに向かっていた。しばらくは同じような光景の道が続いていたが、突然、木が無くなり、開けた広場のような場所に着いた。

 広場の中央には、とてつもなく太く、背の低い大木がある。大木は奇妙な形をしており、うねった幹は時折おわんのようなくぼみを象って、そのくぼみに清水がたまっていた。木の周りには、広場の全体にはおびただしい数の光の玉が飛び交っている。その光の一つ一つが妖精や、虫など"生き物"である。月夜に相まって、なんと幻想的な光景であろうか。まるで天の川の中に漂っているような、そんな感覚に襲われる。

「さて、着いた、と」

 アルディはそこらにあった切り株の上に、妖精のビンをそっと置いた。と、魔術に使う道具、チョークや本を取りだし、切り株に魔法円を描きだした。

「ここは、妖精の郷って呼ばれててさ。どこかしこから妖精や精霊が集まってくるのさ」

 彼は突然語りだした。ビンの中の妖精に話しかけるような、独り言のような、中途半端な感じだ。

 というのも、妖精には、人間の言葉が通じないことがほとんどで、アルディ自身とりあえず話しかけてみたというイメージで喋っていた。妖精は、自分に言っているのか? とばかりに、不意を付かれた表情(表情といっても、妖精の顔では、表情は判別し難いのだが)でアルディを見た。

「学者達は勝手に、ここで妖精が生まれている、なんて言ってるんだ。なんも解明できてないのにいい気なもんだよ。でも、ほんとここはキレイなとこだよなぁ~、何度来てもいいな。嫌なこと全部忘れちゃうんだよ。おっと、出来たっと」

 独り言か話しかけているのかわからないうちに、魔法円は完成した。真ん中に八芒星が描かれている。八には開くという意味があり、また"無限"を表す。もっぱら力の解放や、封印の解除の術の時は、八芒星をよく使う。そう、妖精のビンには封印の術が施されており、普通に手で蓋を開けることはできないため、封印解除の魔法をかける必要があるのだ。蓋には、封印の際によく使われる六芒星が描かれている。

 彼は、ビンを魔法円の中心に置き、何やら袋から、粉のようなものを一握り取ると、円の外側にサラサラとまぶしていった。次に内側の円には、宝石のようなものを三つ、正三角になる位置に置いた。

「これで大丈夫、かな?」

 アルディは、本と切り株の祭壇を交互に何度か見た。と、小さくうなづくと、本の次のページをめくり、よく響く声で詠唱しだした。

「無限の主よ、限りなき力よ、世界は閉ざし目の前に闇。今こそ開き、光集まりて鍵となる。我は手、汝は鍵。我は世界、汝は光。閉ざし闇を開きて封を滅っせん」

 パ、パパパパァン!!

 突然、魔法円の外側が、グルリと炸裂した。円の外周にまぶした粉は、クラフトだったのだ。クラフトとは火薬の一種で、赤リン、黒糖石などを魔法で合成したものだ。

 もうもうとビンの周りを煙が覆う。ほどなくして煙が晴れてビンが見えてきた。しかし、特段変わった様子はない。蓋も付いたままである。唯一変化といえば、内円に置いていた宝石が無くなっていることぐらいか。

 妖精は驚いたか、目をぎゅっとつむりフルフル震えている。

「あれ、失敗か...?」

 アルディはビンを手に取りしげしげと眺めた。と、ビンの蓋が震えだし...。

 ポン! バチィィ!!!

「いっでぇーーーー!!!!」

 突然ビンのコルクの蓋は勢いよく抜けた。蓋は、アルディの額に直撃した。ちょうど、シャンパンの蓋が、顔に直撃した感じだ。

「いでででででで......」

 彼は、額に手を当てその場にうずくまった。しばらく動けそうもない。とっさにうずくまったが、手のビンは離さず、額に当てなかった方の手でしっかりとつかんでいた。妖精は何が起こったかわからずといった様子でわたわたしている。

「さぁて、これで大丈夫だ」

 彼は、妖精のビンを慈しむような目で見つめた。妖精は首をかしげている。と、アルディは右手の人差し指を立てて、上に二、三度動かした。妖精はつられて上を見ると、そこにはもう、自らの自由を束縛していた忌々しいコルクの蓋はない。

 妖精の眼前には夜の森が広がっていた。

 妖精は勢いよくビンから飛び出した。アルディの周りをくるくる旋回する。なんとも嬉しそうだ。

「あは、ははは、よかったよかった、これでお前は自由の身だ!」

 あまりにも嬉しそうな様子に、アルディにも笑みがこぼれる。何より彼の胸には、一つの命を救ったという満足感があった。

 彼の想うところはここにあった。わざわざこの理不尽な"商品"を買ったのも、一つの命を解放したいという想いだったのだ。もちろん、今回救えたのは一匹だけだ。他にもビンに閉じ込められた妖精はたくさんいるだろう。しかし、彼はいてもたってもいられなかったのだ。まずは目の前の一つを...、一つ目を勇気で踏み出せば、次もまた行動できるではないか、そんなかすかな希望の元の行為であった。

 彼は、しばらくの間あたりを旋回する妖精を眺めていた。

「さて、俺はもう行かなきゃ」

 彼はそう言って、術に使った魔道具をカバンに収め、すっくと立ち上がった。

「じゃぁ、元気でな」

 そう言って彼は妖精に手を振って、広場の外へと歩き出した。妖精はそれを見てしばらく首をかしげていたが、アルディが去ろうとしていることが分かるや否や、彼を追いかけてきた。

「おいおい、なんだ、ほしいもんあっても、なんもあげれないぞ?」

 彼は歩き続けたが、妖精はなお彼を追いかけ、先回りしたりと、まるで衛星のように彼の周りを飛びかった。

「なんだよ、なんだよ、俺に着いてきたいってのか?」

 彼は少々困ってしまった。妖精は物言わぬが、目で訴えかけている。

「うーん...、何のためにここまで来たと思ってるんだよ、仲間と一緒の方が一番じゃないの?」

 彼は動物を飼ったことが無い。飼うのにお金を使うくらいだったら、魔道具に使った方がいいと思っているくらいだ。ましてや、妖精という未知の存在である。物も食べぬ、散歩なども必要ないだろう。どうやって接すればいいかいいのか皆目検討もつかない。

 しかし、そうやってどうしようか悩んでいる時点で、どうするかは彼の中で決まっていたのかもしれない。

「部屋汚いぞ? 今は忙しいからかまってやれないし...。それでも付いてきたいか?」

 妖精は一瞬目を細めた。その時彼の心臓は急にドキッとなった。笑ったように見えたのだ。うなづいているようにも見えた。妖精の表情は人のそれとはまるで違う。しかし、彼にはそうしか見えなかったのだ。女の子に微笑まれた、そんな気さえした。

 時に、言葉以上に何かが伝わり、感じる時がある。言葉や、種族を越えて。その伝わるものとは"心"なのかもしれない。心とは、この宇宙に広がる無限性と同じ性質があるのかもしれない。そうであるならば、目の前の命に心が通じないわけがないではないか。

「わかった、着いてこいよ、好きにしろ」

 アルディは観念して言った。妖精に伝わったか、妖精は彼の周りを嬉しそうにクルクルと旋回した。彼が森の出口へ向かって歩き、妖精に話しかけている時も、森を抜けてからもずっと

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