第一章 - 赤い星
今にも重くのしかかりそうなくらい、濃い灰色の雲が空全体をおおいつくしている。
坂上彩子はコートの襟を立て直した。やはり、マフラーをしてくるべきだったと思いながら札幌の駅に向かって歩を進ませた。
札幌の冬はとても寒い。道南のS町と違って寒さの度合いが格段激しいのだ。寒気が下から上がってきて足から先に凍てつく。彩子はS町への帰りの列車の時刻までまだ時間があるので、JRタワーの展望台に上がってみることにした。ここは東西南北がわかりやすいように全面ガラス張りで、三百六十度の視界が広がっている。
―とうとう雪が降ってきた―
遠く北の空から雪の大群が襲ってくるように、南の方へ勢いよく雪崩れ込んで来る。夕闇が押し迫ってきて、チカチカと街のネオンサインが瞬き始める。赤や黄やオレンジ色に光って、雪の銀幕に透けてみえる街の灯はメルヘンの世界に誘われ、彩子の瞳を釘付けにした。
そう、この日は丁度、クリスマス・イブ、十二月二十四日だ。展望室内は若いカップルも目立つ。時折、老夫婦も仲睦まじく札幌の街並みを見下ろしている姿を見ると彩子の頬もゆるんでくる。外の闇も増してくる。いよいよこの幻想的なクリスマスシーンもひとつのポエムのように、この展望室全体を包み込んで来た。
彩子は溜息のような呼吸を軽く漏らすと、ふいに長身の人影が彩子の横を通り過ぎたので、何気なくその人の横顔に視線がいった。その人は西側の大きな窓の所で立ち止まり、じっとくいいるようにメルヘンの世界を見ている。瞳からはひとしずくの涙が流れていた。彩子はこの一瞬の光景に胸がドキリとした。長身のその人は男性で、長い栗色の髪に軽くウェーブがかかっていて、都会的な風貌の人だった。なんだか仙人のような......。いや、今日はクリスマス・イブの日だから、キリストにも似ているような......。
何で泣いているんだろう、と素朴な疑問が彩子の胸にわき起こる。どうみても四十歳代のような、少し中年にさしかっているのは彩子にも感じとられた。同年代の何か共通するような鼓動の響き......。あまり長く見つめることは出来ないから、彩子は西側とは反対の東側に移動した。来年には夫が札幌へ転勤することになりアパート探しの為、週末に札幌へ来たが、なかなか条件に合う所は無い。彩子も夫と共に札幌へ引越ししようと思っているので、ワンルームだけでは駄目なのだ。せめて、二部屋はないと......。幸いS町の一戸建ての家は、長女がそのまま住んでくれるというから有り難い。家も傷まずに済むし、無駄にならない。地元の役所に勤めて四年、頼もしい娘だ。長男は来春、地方の大学を卒業してS町に一旦帰るというので、丁度都合が良かった。一年くらいは姉弟二人で暮らしてくれると思う。
彩子は休息の為、展望室内の喫茶コーナーでコーヒーを注文した。何となく頭の片隅にさっきの長身のロングヘアーの人がこびりついていた。横顔に流れるひとしずくの涙のいわれは何なのだろう。銀色の涙......。